草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
甲子園でもらったウイニングボール。
牛島和彦と仁村徹、いまも続く友情。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2020/08/13 19:00
1979年夏、浪商の牛島(右)は2点を追いかける9回に上尾・仁村から同点ホームラン。延長の末、浪商に軍配が上がった。
高校生活2本目のホームラン。
1回に先制、6回に待望の追加点。2点のリードを保ったまま、9回2死までこぎ着けた。人気もトップクラスだった浪商が、このまま初戦で消えるのか……。走者は一塁。打席には牛島が向かった。気をつけるのは長打だけだが、牛島は高校に入って1本しか本塁打を打ったことがなかった。
あと1人。その2球目。腹をくくり「カーブをねらっていた」という牛島の思惑に感づいていた仁村だが、それでも自信を持っていたカーブを投げた。左翼ポール際へのきわどい打球は切れず、同点2ランとなった。
息を吹き返した浪商と、これ以降の記憶があまり残っていない仁村。延長11回に浪商が勝ち越し、上尾は敗者となった。しかし、ドラマはゲームセットからも続いていく。
「整列したときに、牛島からウイニングボールを渡されたんですよ。しかも『弟にあげて』って。そんな高校生います? ああ、こいつには勝てなかったはずだって思ったんですよ」
弟の健司はエースとして甲子園に。
通常、ウイニングボールは勝利校に渡される。上尾にとってはウイニングではないそのボールを、牛島はあえて敗者に譲ったのだ。仁村にはのちに巨人や中日でプレーした兄・薫がいることは知られているが、弟の健司が控えメンバーとしてこの試合でもベンチにいた。その弟に渡せという。のちに牛島は思いを語っている。
「渡したことは覚えていますよ。こういう悔しさは野球にはつきものだと。それを忘れたらあかんよと言いたかったんです」
健司は翌春のセンバツにエースとして戻ってきて、見事に勝利の校歌を歌っている。それにしても、なんと大人びた高校生だったことか……。
牛島はその後、ドラフト1位で中日に入団。早くからリリーフエースとして頭角を現す。東洋大に進んだ仁村もライバルの活躍に刺激を受け、腕を磨いた。再会は4年後。仁村も中日に指名され、チームメートとなったのだ。