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菊池寛と一緒に「無観客ダービー」へ。
生き証人が語る1944年の日本競馬。
posted2020/08/13 11:30
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Kyodo News
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、JRAでは2月29日から無観客で競馬を開催してきた。
今JRAで行われているのは、太平洋戦争中の1944年に能力検定競走として実施された競馬以来、76年ぶりの無観客競馬である。
コントレイルが無敗で制した第87回日本ダービーは、76年ぶりの無観客ダービーだった。
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来年のダービーは本来の有観客ダービーになってほしいという願いをこめて、ここで、1944年の無観客ダービーを振り返ってみたい。
菊池寛と父と東京競馬場へ。
実は、能力検定競走として行われた76年前のダービーを現地で見ていたという生き証人がいる。
作家・ジャーナリストの矢崎泰久氏(87)である。
そのダービーが行われたとき、矢崎氏は11歳。「文壇の大御所」と呼ばれた作家で、馬主でもあった菊池寛と、菊池の秘書のような仕事をしていた父の矢崎寧之氏らとともに、東京競馬場にいたという。
「父と菊池先生に連れられ、私が初めて東京競馬場に行ったのは、その5年ほど前、小学校に上がる前の年のことでした。『万歳館』というスタンドの真ん中に大きな柱がありましてね。走り回らないようにと、そこに縄でつながれたんです。知っている人が誰もいなくなったときは不安になりました(笑)」