オリンピックPRESSBACK NUMBER

大迫傑も超えられなかった高校記録。
石田洸介の5000m新記録とパリ五輪。 

text by

和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

PROFILE

photograph bySatoshi Wada

posted2020/08/09 08:00

大迫傑も超えられなかった高校記録。石田洸介の5000m新記録とパリ五輪。<Number Web> photograph by Satoshi Wada

7月18日のホクレンディスタンス千歳大会で5000mの高校記録を塗り替えた石田洸介(東農大二)と顧問の城戸口直樹。

中学記録を引っさげ、群馬へやってきた。

 レース後のフィニッシュタイマーの前での記念撮影では、普段はクールな顧問の城戸口直樹も「私もいいですか?」と加わり、一緒に写真に収まった。

「3年間で一番うれしそうな先生の顔を見られて、よかったです」

 福岡県出身の石田は、浅川中時代に1500m、3000m、5000mの日本中学記録を打ち立て、早くから注目された選手だった。当然多くの強豪校から勧誘があったが、石田が進学先に選んだのは、地元から遠く離れた群馬の東農大二高だった。

「上から縛り付けられるのではなく、自分の考えを持ちつつ、先生と話し合って、良い方向に向かっていきたいという思いがあったのと、高校駅伝を走りたいと思っていた。その条件にちょうど合っていたのが東農大二高でした」

 しかし、高校進学後はなかなか思うような結果を残せなかった。インターハイ路線は、1年時は全国大会に出場できず、2年時は1500mと5000mで全国に進んだが、ともに決勝は9位と入賞を逃した。速さだけでなく、強さを追い求める石田にとって歯痒い結果が続いた。

「中学の顧問の先生からは“中学記録のことは忘れたほうがいい”と言われていたのですが、そんな簡単に忘れられるわけがなく、自分が思い描いている結果と実際の結果とのギャップが大き過ぎました。中学記録を持っていることのプレッシャーというよりは、自分が自分にかけるプレッシャーがかなり大きかったなって思います」

城戸口は順調だと思っていた。

 苦悩する石田に対して、城戸口はずっと「焦らなくていいよ」と言い続けてきたという。

「表に出さないまでも、石田がフラストレーションを抱えているのは感じていました。ただ、指導者目線でいうと3年計画で考えていて、5000mでは1年目14分9秒、2年目13分51秒と伸ばしてきていましたから、私にはイメージ通り。

 13分51秒で走った時は貧血上がりだったので、これは(高校記録更新も)いけるんじゃないかと思いました」

【次ページ】 高校選びを後悔しかけたことも。

BACK 1 2 3 4 5 NEXT
石田洸介
大迫傑
佐藤秀和
城戸口直樹

陸上の前後の記事

ページトップ