ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
愛される杉谷拳士の礎と成長曲線。
ベテランの目利きでさえも覆された。
posted2020/07/29 08:00
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph by
Kyodo News
努力する才能――。
抽象的ではあるが、スポーツ界ではよく耳にする言葉である。
北海道日本ハムファイターズでは、杉谷拳士選手が体現している1人だろう。
長丁場のペナントレースの行方は主力選手の成否に左右されるが、時にバイプレーヤーが起点となり、好転へと舵を切ることがある。ベンチに控えていることが多いキーマンたちの柱が、杉谷選手である。
開幕から、少し不振にあえいでいるチームの中で停滞ムードを変える役割を担っているのだ。数試合に1度のスタメン、途中出場で時に失敗もあるが、結果を残している。
わが道を貫き、確立してきたキャラクター。コミカルな言動でも注目され、子供たちからの人気も高い。老若男女に愛でられる、球界でも稀有なプレーヤーだといえるだろう。
「杉谷には覚悟があった」
今シーズンがプロ12年目、来年2月に三十路の30歳になる。若手主体のファイターズの野手陣の中では、中堅以上に該当する1人になる。
入団テストに合格してプロ入りしたのは有名な逸話だが、その経緯、そして知られざる源流がある。
2008年ドラフト6位で入団した。その契機となったテストでのパフォーマンスを、当時ゼネラルマネジャー(GM)だった山田正雄スカウト顧問は爆笑しながら述懐する。
「チャンスがもらえたらプロ一本で勝負したい、と言うからね。同情だよ。それは冗談としても、杉谷には覚悟があったよね。ただ体も小さいし、それなのに足が速くない。打つ方も、ずば抜けているわけじゃないし、スローイングも普通。どうしようか、と。だけど『こいつ、うるさいなぁ』と思うくらい、元気があって目立ってはいたね」
参加者の中で一際、ハッスルしていたのが小さな高校球児、帝京高校の杉谷選手だったのである。
既に1歳上の兄が同じ帝京高校を経て、北海道の私立大学の野球部へと進学していた。杉谷選手は両親に負担が掛からないように、進路は東北地方の社会人野球チームかプロの二択だった。
「親もいつまで働けるか分からないですし、僕が私立の大学へ進んだら大変だろうなと思っていました」
高校卒業後、野球で生計を立てていくと腹を決め、そのチャンスを射止めたのである。