話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
部員6人なのにコンサドーレと提携。
クラーク高と伊藤壇の夢は3年でIH。
posted2020/07/30 07:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Shun Sato
雨の中、生徒たちが集まってくる。
この日はクラーク記念国際高校サッカー部の部員6名に中学生5名、それに海外でプロを目指す選手2名の計13名だ。
競技場横の木立の中で着替え、雨のピッチに出ていく。
ランニングを始め、2人組になってトラップやロングのキックの練習を始める。すると、伊藤壇監督の同級生など社会人の選手たちが数人やってきた。
「部員がまだ6名なんで、いろんな人の力を借りて練習しています」
伊藤監督は、笑顔でそう語ピッチの中央に歩いていった。
今年2月、クラーク札幌大通キャンパスにサッカー部が創設され、監督に伊藤壇が就任することが発表された。
伊藤は、1998年ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に入団後、アジアなど22の国と地域でプレーし、2019年に現役を引退。現在は教職員としてではなく、同校と業務提携をしたコンサドーレ札幌と契約し、派遣という形で指導に当たっている。
あえて強い学校を選ばなかった経験。
指導者としての経験は自らのスクールでしかないが、プロ経験は豊富。数多いオファーの中からクラークを選んだのは、自分の高校時代の経験が大きかったという。
「僕の高校時代は室蘭大谷1強の時代でした。でも、僕は登別大谷を選んだんです。理由は3年計画で選手を集めて選手権に出るということで面白そうだったし、1年目から試合に出るチャンスがあると思ったから。
実際は1年の時には試合に出られなくて、1年の時も2年の時も室蘭大谷が優勝して周囲からは『室蘭に行けばよかったのに』って散々いわれました。でも3年の時、全道大会の決勝で室蘭と当たって僕の決勝ゴールで勝って、高校選手権に行けたんです。
時間はかかったけど、自分のやりたいことをやることで結果を出せた。それがその後の自分の生き方の指針にもなりました。うちは来年、新1年生が中心になってチームを作っていく予定です。僕の高校時代と同じく、ゼロから作るところに魅力があったんです」