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プロクライマー・杉本怜、29歳。
「今のボクにできることを考えた」
text by
津金壱郎Ichiro Tsugane
photograph byYuki Suenaga
posted2020/07/27 11:00
スポンサーを見つけることの難しさ。
その背中を押したのが、大学で所属していたアウトドア・サークルの先輩がフリーランスで働く姿だった。
「クライミングとは関係ない仕事をしている先輩が、独力で道を切り拓いているのを知り、僕も『自分で切り拓いて行こう』と思ったんです。ただ、卒業してすぐは、プロクライマーと名乗ってはいても、いま思えばプロを名乗るには甘い考えをしていましたね」
高校2年で初出場した2009年2月の『第4回ボルダリングジャパンカップ(以下BJC)』で3位。翌年以降もBJCはコンスタントに決勝進出し、2015年2月の『第10回BJC』で初制覇。国際大会でも2013年8月のW杯ボルダリング・ミュンヘン大会で初優勝した。
実績を積み重ねたものの、この時期のスポーツクライミングは東京五輪での実施が決まる前。世間からの注目度は低く、杉本のプロ活動を支えるスポンサーは、なかなか現れなかった。それだけに杉本は、「この未来は想像できませんでしたね」と笑顔をこぼす。
「オリンピックでの実施が決まってからは、競技で抜群の成績を残せばスポンサーはすぐ見つかって、プロクライマーの道は拓かれますよね。だけど、その方法だと席数は限られているし、それだけがプロクライマーになる方法でもない。僕みたいに全国各地をまわり、地方のローカルコミュニティーに入っていきながら、大会でも選手として活動する方法もある。これは特殊なケースだし、大変といえば大変なのですが」
選手だからこそできる企画を。
生半可な覚悟なら挫けそうな状況にあっても、プロクライマーにこだわって活動してきた杉本は、2017年からマイナビとスポンサーシップを結んだ。この時にマイナビと契約したのは杉本を含めて6選手いたが、現在は杉本のみ。契約を勝ち取り続けている要因のひとつには、クライミングで生きていく覚悟の違いがあったのかもしれない。
1991年11月13日生まれの杉本は、今年で29歳になる。コンペティターとしての終着点を「だいぶ意識している」という。
「いまはまだ、選手として行けるところまで突っ走りたいと考えています。ただ、外出自粛期間にこれまでの活動を冷静に振り返る時間ができて、競技を退いた後のことを以前よりも具体的に考えるようになりました」
杉本はプロクライマーとしての軸足を国内外にある岩場に転換することを思い描く一方で、「それ以上に興味を惹かれることがある」と打ち明ける。
「トークショーもキッカケになっていますが、将来的にはイベントの企画やコーディネートをメインにしたい気持ちがあります。そこに向けて選手のうちからコンペでもトークショーでもいいので、選手だからこそできる企画を仕掛けたいんですよね」
そう語る杉本は、すでに新たな企画実現に向けて動いている。トップ選手を招待し、オンラインで中継する『選手のためのコンペ』を実現させるために、スポンサー集めのプレゼン資料もつくった。これは遠くない日に杉本から発信されるはずだ。