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小林浩美、宮里藍らの長所を全て持つ、
渋野日向子の本当の課題とは?
posted2020/06/29 11:50
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph by
Kyodo News
今をときめく渋野日向子がまだ生まれていなかった1990年代序盤、現・日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)会長の小林浩美は米女子ツアーで目まぐるしい日々を送っていた。
日本人女子選手が米ツアーや世界の舞台に挑むことは、当時は「道なき道」を切り拓きながら手探りで進んでいくことを意味していた。樋口久子、岡本綾子、そして小林は、文字通り、その草分けだった。
右も左もわからない異国の地。まだインターネットもスマホも普及しておらず、情報を得ることが大変だった時代である。米国社会や生活習慣、文化を知り、英語を身に付ける必要性を痛感した小林は通訳を兼ねた世話人を日本へ帰し、「全部、自分でやる」と単独行動に切り替え、それが功を奏した。
小林は「規格外」の発想をしていた。
1993年にJALビッグ・アップル・クラシックで初優勝を挙げたとき、マイクを向けられた小林が発した英語は「Just happy.」の2語だけだった。だが、わずか2語のブロークン英語からは、彼女の努力と喜びがひしひしと伝わり、米国の人々は心を動かされ、そして彼女を讃えた。
「ヒロミはメディアセンターの人気者だ」
米国人記者たちも絶賛していた。英語の質問が正確に理解できずとも、満面の笑顔で、シンプルかつブロークンな自分なりの英語で回答する小林の必死さと愛らしさは、通算4勝の実績とあいまって、ヒロミ人気を上昇させた。現地の報道に「ヒロミ・コバヤシ」が頻出した背景には、そんな裏話もあった。
「言葉は最終的に言いたいことが通じればいい。ゴルフもきれいなゴルフじゃなくてもいい。地べたを這おうが、ゴロゴロ転がろうが、最終的に誰よりもいいスコアで上がればいい」
小林のそのフレーズは、美しさや完成度を追求する日本人の傾向とは真逆の「規格外」の発想だった。そんな日本人ばなれしたダイナミックさと強さを備えた小林に、まだ渡米して数年だった当時の私は衝撃を覚えた。