サッカーの尻尾BACK NUMBER
再開されたサッカーの高揚感。
99年のテリーと20年のハーランド。
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byDaiki Koga
posted2020/05/26 15:00
1999年、ファンにサインするデサイー。選手たちを直に観る、というのはいつでも贅沢な体験なのだ。
ミレニアムを前にしたマンUは豪華だった。
白髪の老夫婦が部屋を貸してくれた。郊外の大きな家で、朝食付きで月300ポンドくらいだったと思う。老主人はフットボールよりもスヌーカー(ビリヤードの一形態だ)が好きだった。夫人はいつも濃い紅茶を飲んでいて、とても上品な話し方をした。
リビングにはチャーチルの時代からありそうなテレビ受像機が1台置いてあった。ある日、FAカップのマンチェスターUの試合とスヌーカーの試合がちょうど同じ時間にあった。
漂うフットボールの気配を感じとったのだろう、老主人は「今日はスヌーカーの試合があるんだ」と上級紳士のしぐさで僕に言った。「とても大事なやつだ」
僕は彼を見て、それからよく分からないふりをしてFAカップの試合をつけた。
ミレニアムを前にしたマンUは豪華だった。
ゴールマウスのシュマイケルは食器棚みたいに大きくて、技術よりも存在感で枠を守った。若きベッカムのクロスは美しく、巻き髪のソルスケア(スールシャールと呼ぶかどうかは当時の最大の議論だった)は、なんだかよく分からないけれど出てきてはゴールを押し込んだ。胸にあるSHARPのロゴが彼らによく似合っていた。
老主人はといえば、最初は不満そうにしていたけれど、少しすると隣に座り、結局ふたりで興奮しながら90分間試合を見た。ユナイテッドは強いなあ、なんて話しながら。今となっては彼のおおらかさに感謝するばかりだ。
テレビで見ていた選手は人間だった。
平日はチェルシーの練習場にでかけた。当時のチェルシーはインペリアル・カレッジのグラウンドを借りていて、施設はプレミアリーグのクラブとは思えないほど質素だった。
現在のように規制は厳しくなく、練習後の駐車場では確実に選手と写真が撮れた。目の前に現れるスター選手たち。ビアッリには南欧俳優の雰囲気が漂っていた。トーレ・アンドレ・フローはヒマラヤスギみたいにひょろりと背が高くて、ゾラはやっぱり小さかった。
深夜の衛星放送、遠く日本から彼らを見ては目に焼き付けていた。頭の中で繰り返し想像したスターたち。目の前のフットボーラーはまさに思い描いていた通りだったけれど、それは息をする、血の通った生身の人間でもあった。映像が現実になった瞬間だった。
デサイーがファンにサインをしている。半年前にフランスワールドカップで優勝した、当時世界有数のセンターバックだった。その陰から隠れるようにして、18歳になったばかりのジョン・テリーが出てきた。彼はものすごく恥ずかしそうに写真を撮ってくれた。後にイングランドを代表するセンターバックになるなんて、もちろん知る由もなかった。