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伝説となった2008年バスケ全中決勝。
富樫勇樹と田渡凌、「風と刀」の死闘。
text by
青木美帆Miho Awokie
photograph byIzumi Nakagawa/NIPPON BUNKA PUBLISHING
posted2020/05/02 11:50
新潟で行われた2008年の全中決勝。本丸中の富樫勇樹(右)は36得点、京北中の田渡凌(左)は39得点をあげ74-68で本丸中が勝利した。
富樫が36点、田渡が39点と、怪物級のスタッツ。
シーソーゲームとなったこの試合の勝者は、富樫が所属する本丸中だった。
両エースは富樫が36点、田渡が39点と、怪物級のスタッツを残しているが、その得点のとり方は対照的だった。
田渡がマークの張り付いた状態で力強くシュートを打ち続けたのに対し、富樫は基本的にノーマークの場面でシュートを選択し、そうでないときは仲間にパスを送った。
中学最後の、しかも地元での全国制覇がかかった試合にも関わらず、コート上の富樫からは、「闘志」や「気負い」という類のものを一切感じなかった。
むしろ、ちょっと気を抜くと、165センチの小柄な体を見失いそうになった。
そのくせ、ドンピシャのタイミングで速攻のループパスを演出したり、鋭いクロスオーバーから自分より20センチも高い相手の上にシュートを通したり、最終クォーター開始直後に完全ノーマークの3ポイントシュートを2連続で沈めたりするのだ。
それも、なんてこともないように、ひとつも表情を変えることなく。
田渡が鋭い刀なら、富樫は風。
田渡のプレーを鋭い刀とたとえるなら、富樫のそれは風だった。
普段はとらえどころがなく、突如強烈なエネルギー体となって相手に襲い掛かり、またふいと消えてしまう。
本丸中の当時のメンバーは、入学直後から地元全中での優勝を目指してきた。それゆえ試合後はみな、大願が成就した喜びを爆発させ、うれし涙を流している選手もいた。
しかし、その中で富樫は、ごくごく小さな笑みをたたえるのみだった記憶がある。
この数年後、富樫に当時の心境を聞く機会があった。うれしい感情をうまく表現できなかったのだろうと仮説を立てていたが、その回答は斜め上のものだった。
「優勝するのは当たり前だと思っていましたし、普通の大会で優勝するのと同じくらいの気持ちでしたね。チームメートは相当うれしかったみたいですけど……」