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伝説となった2008年バスケ全中決勝。
富樫勇樹と田渡凌、「風と刀」の死闘。
text by
青木美帆Miho Awokie
photograph byIzumi Nakagawa/NIPPON BUNKA PUBLISHING
posted2020/05/02 11:50
新潟で行われた2008年の全中決勝。本丸中の富樫勇樹(右)は36得点、京北中の田渡凌(左)は39得点をあげ74-68で本丸中が勝利した。
「家族にも『よくしゃべるようになったね』と」
富樫が高校を卒業し、帰国した夏、「ワークアウトのメニュー紹介」という取材に協力してもらったことがある。
富樫は自分の経験や考えを実になめらかに語り、メニューのコツを次々レクチャーした。別フロアにある編集部を案内したときには「この雑誌は何人くらいで作ってるんですか?」「他の人たちはどんな雑誌を作ってるんですか?」と逆質問まで受けた。
4年前までは、誰かの隣(もしくは後ろ)で、何も言わずはにかむだけの少年だった。あの時の彼と目の前にいる人物が本当に同一人物なのだろうかと驚いたが、近しい人々の反応も似たようなものだったようだ。
「家族にも『よくしゃべるようになったね』と驚かれます。1年目の夏に実家に帰った時には、お父さんに『これまでの15年間よりも、この夏のほうがしゃべってるな』って言われました」
富樫はそう言って、さらりと笑っていた。
「野心的なメンタルを高く評価している」
今年2月、久しぶりに富樫の単独インタビューを行う機会があった。
高卒でプロになって7年。NBAやイタリアリーグにも挑戦し、すっかりたくましくなった26歳の富樫は、高校時代に経験したもうひとつの成長について話してくれた。
「日本人っていい意味で他人思いで、チームプレーに徹することができるんですけど、変に譲り合ったり、主力の選手に遠慮しているところがあるじゃないですか。
アメリカでは練習中、試合に出ていない選手がスタメンの選手とケンカしたりすることが当たり前のようにありました。それくらい、みんなが『試合に出たい』という気持ちを持って、それを表現していたんです。
特に僕は、この身長で、この見た目(童顔)だったので、チームメートからの『こんなやつに負けるわけがない』という雰囲気は常に感じていました。練習の時から、自分がボールを持つと、明らかに他の選手よりプレッシャーが強くなる。そういう環境が僕を成長させたんだと思っています」
今年度の日本代表の活動が始まる直前、日本代表のフリオ・ラマスヘッドコーチがメディアセッションを開いた。
質疑応答で富樫について問われたラマスは、「相手が誰であろうと挑戦できる、野心的なメンタルを高く評価している」とコメントしているが、このメンタルは、間違いなく高校時代に磨かれたものだろう。