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妹・真央とともに歩んだ、
浅田舞のフィギュアスケート人生。 

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph byKiichi Matsumoto

posted2020/04/29 11:00

妹・真央とともに歩んだ、浅田舞のフィギュアスケート人生。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

フィギュアスケートと喧嘩をしている感じ。

 フィギュアスケーターはアスリートなのか、アーティストなのか、とよく聞かれるのですが、私はやっぱりアスリートだと思います。キラキラのドレスを着て、きれいにメイクして、見た目はすごく華やかだし、アーティスト性のある競技だと。でも、体の管理、食事、睡眠、生活スタイルまで、すべてがトレーニングの一環で、華やかな世界の裏では、みんな怪我をしたり、傷だらけになったり、ジャンプに支障が出るから体重管理が大変だったり。フィギュアスケーターの生活って想像以上に過酷で、ゴリゴリのアスリートなんです。

 だから競技が嫌いになってしまってから、私のフィギュアスケート人生は今までと真逆になってしまいました。フィギュアスケートと自分が関係していることがすごくストレスで、異常なぐらい食べていて、三段腹だったし、体もパツパツ。衣装が何も入らない状態でしたから。逆に食事を取れなくなったこともあって、今より15kg痩せていた時もありました。その頃は自分の精神的な部分が弱くて、物事に対応できず、それが体にも現れていた。

 感覚としては、フィギュアスケートと喧嘩をしている感じです。ちゃんと向き合えない時期が長くなってしまったことで、結局、競技をフェードアウトしてしまいました。アイスショーにも出ていなかったし、競技をやめたときは今より15kgも太っていたんですよ。

突き詰めていけたのは、妹がいたから。

 フィギュアスケートが嫌いになってしまったことで、家族と仲が悪くなったり、妹と心が離れてしまった時期もありました。

 それでもアイスショーに出るようになったのは、周りの方やファンの方から「ジャンプやスピンがなくても、舞ちゃんの滑りが見たい人はたくさんいるんだよ」という声をいただいたから。自分が戻れる場所がまだフィギュアスケートにあるんだということ、そして自分にもまだ滑りたいという感情があるんだということに、初めて向き合えたのです。

 今では妹にはとても感謝をしています。多分、妹がいなかったら、挫折しても食らいついたりしなかっただろうし、習い事で終わっていたでしょうね。30歳過ぎるまで滑って突き詰めていけたのは、妹がいたからこそだし、海外に練習に行けたり、いろいろな世界を見ることができたのも妹のおかげです。

【次ページ】 ちょっと誰かに頼ってみるのも悪くない。

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