Jをめぐる冒険BACK NUMBER
ベガルタが2011年4月23日に灯した
J再開での希望と、手倉森監督の涙。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byToshiya Kondo
posted2020/04/23 20:00
劇的な逆転勝利後、サポーターと喜びを分かち合う仙台イレブン。ここから手倉森監督とベガルタの躍進が始まった。
62分、手倉森監督が渾身の一手。
雨中決戦はフロンターレのリードでハーフタイムを迎えた。
「プラン通りの展開で試合を進めながら先制された仙台が、どう修正するか。それが後半のポイントのひとつだね」
そう語りかけてきたのは、記者席の隣に座る城福浩さんだった。当時、専門誌の記者だった僕はこの試合の分析・解説を依頼していたのだ。
手倉森監督が動くのは、62分のことだった。
FWの中島裕希を投入して4-2-3-1から4-4-2へと変え、トップ下の梁をボランチに移すのだ。満を持しての一手――。指揮官が狙いを明かす。
「相手のセンターバックが赤嶺に対してファウルが多くなってきたので、2トップにしたらバイタルエリアでFKがもらえるかなと。それでスイッチを入れました」
この効果はてき面だった。
梁にボールが集まりだしたことに加え、2トップが川崎のセンターバックに圧力を掛けることに成功したのだ。
「ダサいけど忘れない」太田のゴール。
73分の同点弾は、こうした流れから生まれた。左サイドからのパスを受けた赤嶺が右に展開する。そこに走り込んできたのは、太田だった。
足を滑らせた太田のフィニッシュは、決してミートしなかったものの、フロンターレDFの足に当たってコースが変わり、ゴールに吸い込まれていく。
「今までで一番ダサいゴールだけど、一生忘れないと思う。ガッツポーズは自然と出ました。得点した瞬間、被災者のことを思ったら、こみ上げてくるものがありました」
このときすでに足が痙攣していた太田は、その場で座り込んだまま力強く両手を突き上げた。
「ヨシのシュートが相手に当たってコースが変わったけれど、我々が取り組んできたことや想いが中途半端だったら、弾かれていたと思う。ヨシが言っていたように、あれは『みんなの想いが込められたゴール』だったね」
指揮官はのちにロジックでは説明できない力が働いたゴールだと話している。
だが、代償も大きかった。直後、足を攣っていたセンターバックのチョ・ビョングクがピッチを離れ、太田もプレー続行不可能になるのだ。被災者の思いを背負った選手たちが、いかにギリギリの戦いをしていたかを物語っていた。