Jをめぐる冒険BACK NUMBER
アジア早期敗退を招いた甘い姿勢。
浴びた批判はJで見返すしかない。
posted2020/01/17 18:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
JFA/AFLO
三兎を追って得たのは一兎――。結果だけを見れば、そんな1カ月間だった。
12月半ばに韓国で開催されたA代表のE-1選手権には23人中12人の東京五輪世代を招集し、韓国に0-1で敗れて準優勝に終わった。
中山雄太、前田大然、安部裕葵といった海外組を招集した12月末のU-22ジャマイカ代表戦はチームに一体感が生まれ、9-0の完勝を飾った。
そして1月、タイで開催中のU-23アジア選手権である。
ジャマイカ戦から18人入れ替えたが、1分2敗でグループステージ敗退を喫した。
「今大会で(決勝までの)6試合を戦って成長に繋がる経験をしてもらうこと、タフな戦いの中で選手が成長することで、いろいろな変化が見られると思っていた」
森保一監督は1-1で終わったカタールとの最終戦後、そう悔やんだ。
今大会は東京五輪のアジア最終予選を兼ねていたから、ライバル国たちは出場権を目指して本気で挑んできた。しかも、高温多湿のタイで中2、3日の日程で6試合を戦う状況は、今夏の東京五輪に向けた格好のシミュレーションになるはずだった。
それなのに、3試合で終わってしまったのだから、痛恨と言うしかない。
4年前は南野、久保裕也を招集したが。
そもそも、この大会に臨む姿勢が甘かった。
日本は4年前、この大会でリオ五輪への出場権を勝ち取っただけでなく、決勝で韓国を3-2で下し、優勝までしている。
このときは12月末に8日間、沖縄でキャンプを張って調整し、開催地のカタールに乗り込んだ。さらにヨーロッパのクラブに所属していた久保裕也、南野拓実まで招集する万全の体制を組んだ。それでも辛勝に次ぐ辛勝のすえ、なんとか戴冠を果たした。
一方、今回は12人の選手たちが12月半ばに極寒の韓国で行なわれたE-1選手権に出場。メンバーを入れ替えてジャマイカ戦を戦い、その両大会に出た選手プラスαで高温多湿のタイに乗り込み、海外組は食野亮太郎しか呼んでいない。
オフもなければ、ベストメンバーでもなく、準備もままならない――。
そんな状態で決勝まで勝ち上がれるほど、甘くはなかったのだ。