オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(2)>
メキシコ五輪「室伏が追った鉄人」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2020/01/19 11:40
3大会目の五輪出場で、選手団の団長も務めたハンマー投げの菅原武男。
「見るだけ。遠くから見るだけ」
妻は最近、夫がずっと追っているものが何なのかわかってきた。というのも老人の域に入った菅原の前には今も、形を変えて“サークル”があるからだ。
「私がお茶をやっているので、それに使う山野草を主人が育ててくれているんです。基本を勉強して、そこからは自己流にするんです。土をブレンドしてみたり、根っこを半分に割ってみたり、それで枯らせてしまうこともあるんですけど、あの人、花が咲かない鉢も『もしかしたら再生するかもしれない』って捨てないんですよ」
ベランダや庭に並んだ、ひとつとして同じもののない50鉢を眺めて菅原は言う。
「いい花でも、実のない花でも、みんな平等だと思う。平等にどう咲くかという選択権があるんです。ああ、そういえば今度、私の地元の秋田に女子のハンマー投げで凄い選手がいるというので見に行ってみようと思うんです。見るだけ。遠くから見るだけ。良いとか悪いとかないんです」
自宅のリビングには妻が綺麗にトロフィーや盾を並べた棚があるが、やはりそうした形あるものには目もくれない。
「何もいらないですよ。死んだら何か残るわけじゃない。私が死んだらああいうものは捨てろと言っているんです」
物質ではない。彼方へ飛んでいく鉄球が示すもの。菅原がサークルの中でやってきたのは人間が持つ可能性の追求だった。
「メダル? そりゃあね。半分こにしてくれないかなと思ったよ。でも、やっぱりそれよりも自分に背丈が180cm、190cmあったらなと思いますよ。そうしたら、世界新記録、出せたんじゃないかなあ」
81歳。頭の中ではいまだサークルに立っている。そこで可能性の旅を続けている。
メキシコの空に悔いを残していないのはおそらくそのためだ。
菅原武男(ハンマー投げ)
1938年5月23日、秋田県生まれ。毛馬内(現・十和田)高校から日本大に進学後、リッカーミシンに入社。'60年ローマ五輪から'72年ミュンヘン五輪まで4大会連続出場を果たす。世界で初めて4回転投法を成功させたことで知られる。
◇ ◇ ◇
<この大会で日本は…>
【期間】1968年10月12日~10月27日
【開催地】メキシコシティー(メキシコ)
【参加国数】112
【参加人数】5,516人(男子4,435人、女子781人)
【競技種目数】19競技172種目
【日本のメダル数】
金11個 上武洋次郎(レスリング)、体操男子団体など
銀7個 君原健二(男子マラソン)、バレーボール女子など
銅7個 森岡栄治(ボクシング)、男子サッカーなど
【大会概要】標高約2300mに位置する空気の薄い高地で行われ、空気抵抗が少ないため陸上競技では走り幅跳びや短距離走などで多数の世界新記録が生まれた。日本男子体操団体は大会3連覇。男子サッカーが銅メダルを獲得する快挙を成し遂げた。ジャック・ロゲIOC前会長(ベルギー)がヨット選手として初出場。
【この年の出来事】東大紛争勃発。アニメ『巨人の星』放送開始。グループ・サウンズ大流行。