令和の野球探訪BACK NUMBER
79歳名将も驚いた梅林優貴の急成長。
ストイックな4年間経て日本ハムへ。
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2019/12/31 17:00
梅林(右)のプロ入りを喜ぶ79歳の三原新二郎監督。「一軍でプレーしてほしい」とエールを送った。
授業、練習、ジム、バイト。
平日は主に16時まで学校、約1時間かけて野球部のグラウンドまで行き、17時から2時間半ほど練習。さらに1時間かけてプロ野球選手も通うジムの「ATHLETE(アスリート)」に行き、21時半頃から90分ほどトレーニングして帰宅。授業のない日は昼に「ATHLETE」に行ってから全体練習。その後は高速バスの清掃のアルバイト。単位取得が順調で授業が少なくなった3年秋からはガソリンスタンドのアルバイトも兼務した。
「妹もいたので親に負担をかけたくない思いもありましたし、社会人野球を目指すとなると道具もより良い高いものが欲しくて。そうしたものは親に買ってもらうより、自分のお金で買った方が大事にすると思ったんです」
また、アルバイトで同僚や利用客と話す中で「人見知りもなくなりましたし、どういう言動をしたら喜んでもらえるか分かるようになりました」と人間的にも成長できたと話す。
さらに、こうした予定がぎっしりと詰まった中でも、睡眠時間にはきっちりと時間を割いた。ほぼ毎日10時間寝ることで、体はみるみる成長。50キロ台後半ほどだった体重は今や88キロにまでなり、スーツの上からでも分かる筋骨隆々の体格を手に入れた。
スカウトの前でも持ち味を発揮。
すると、それが野球に実を結んでいき、「中国地区2部に強肩の捕手がいるらしい」という噂はどんどんと広まり、ついにはNPB球団のスカウトの耳に届くまでになっていった。
2年春から三原監督に正捕手として起用してもらったこともあり、試合勘や精神面が成長した4年時には、スカウトが目を光らせる前で冷静に自らの持ち味を発揮。早くから目をつけていた日本ハムから本指名を受けるまでに至った。
これに何よりも驚いたのが三原監督だった。「この春までは“社会人がどこか獲ってくれたらいいな”と思っていましたし、志望届を出してからも“あっても育成指名だ”なんてと思っていましたから」と笑う。
一方で「自分で練習ができる子で4年間本当によく努力しました。主将にも自ら立候補してくれましたし、ウチの野球部を変えてくれましたね」と賛辞を惜しまない。