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小笠原満男がブラジルで見た競争力。
「うまくなる子は少しでも早く来る」
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph byHirokazu Ikeda
posted2020/01/05 08:00
かつて鹿島に所属したジョルジーニョらとも交流した小笠原。ブラジルで得たものを子どもたち、そして日本サッカーに還元していく。
絶対にプロになるという覚悟。
生き残り競争がとても激しく、トレーニングは誰もが真剣で、インテンシティが高い。技術がないと通用しないため、全体の技術レベルも高まっていく。
「なんとなく日本では、“プロのサッカー選手になれたらいいな”くらいの感じだけど、絶対にプロの選手になるんだという覚悟があった。“努力する”ということに関してはブラジルの方が圧倒的に上。やっぱり練習の回数や時間が多い。日本の子どもたちは、スクールとかを見ていても、練習時間ギリギリに来て、終わってすぐに帰る。家の前でも練習していればいいけれど、やっぱりうまくなる子どもは、少しでも早く来てボールを蹴ったり、ドリブルの練習をしたりしている。やっぱりそういう選手が上にいくと思う」
小笠原自身、競争によって自らの力がついたと実感している。中学年代から日本代表を経験し、プロ入り後も日本代表やブラジル代表がそろうアントラーズで厳しい競争を強いられた。
「やっぱりアントラーズは優勝しないといけないクラブ。そのために、毎年その年代の日本一の選手が加入してくる。試合に出られるようになっても、また強力なライバルが加入して、イチから競争。その繰り返し」
育成の目的はトップの選手を生むこと。
ブラジルでは、13歳までは個の技術向上に重点を置いていることを知った。フットサルとサッカーをそれぞれ週2回ずつやりながら、土日は試合をして、空き時間には公園で練習。サッカーに打ち込むのは14歳からが多いという。
「13歳までは戦術どうこうではなく、攻撃はドリブルでかわしたり、ボールを取った、取られた、抜いた、抜かれたにこだわる。守備も入れ替わったらダメではなく、まずは奪いにいかせる」
育成における目標は、トップで活躍する選手を生み出すこと。チームとしての勝敗も大事にしながら、ブラジルでは本質となる個の技術や能力を高めることに注力する。小笠原自身、引退後は小学生年代からトップチームまで幅広い世代のサッカーを見るようになり、今の日本サッカーに感じることがあった。
「きれいにワンタッチ、ツータッチでパスを回すことが多い。ポジションをどこに取って、というサッカーをやり過ぎているので、ドリブルをする選手も少ないし、守備でボールを奪いにいける選手も少ない」