松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
リオ銅メダルの廣瀬順子(パラ柔道)。
妻のメダルに夫・悠は何を思った?
posted2019/10/07 11:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく『松岡修造のパラリンピック一直線!』第6回のゲストは、廣瀬悠さんと順子さん夫妻。
2人はともに視覚障害者で、日本の視覚障害者柔道を引っ張る存在であり、ともに前回のリオパラリンピックに出場。夫の悠さんは初戦敗退で涙を飲んだものの、順子さんは初出場で見事に銅メダルを獲得。明暗が分かれる形となったが……。
順子「メダルは獲れたらいいなくらいで」
松岡「ここからは、夫婦で出場したリオパラリンピックのお話を伺いますね。リオでは順子さんがメダルを獲りました。それは最初から狙っていたんですか」
順子「リオは世界ランキングで8位までの選手が出られたんですけど、私は7位でギリギリでした。だから、メダルは獲れたらいいな、くらいで」
松岡「悠さんはどう思ってましたか」
悠「順子は多分、3位決定戦で負けて5位かなと思ってました」
松岡「えっ? 絶対にメダルに届くじゃなくて、5位」
悠「リオで5位になって、次の東京で3位くらいを予想していたので。だからリオは『夫婦揃って出場できて良かったね』くらいの気持ちでした。順子はそれまで世界大会でメダルを獲ったことがないんです。それなのに、いきなりリオで結果を残すのはちょっと無理やろうと」
松岡「いきなり本番で力は出せないぜと。なぜそこで『順子ならできる』と言わなかったんですか」
悠「それを言うと、本人のプレッシャーになるので。それ(メダルの期待)は周りが十分に言っているじゃないですか」
松岡「なるほど。あえてそうしたんだ。もしあの時、悠さんから『順子、できるぞ!』って言われていたらどうなっていたでしょう」
順子「多分、プレッシャーで試合にならなかったと思います。私は、試合自体がすごく緊張して苦手なんです。3位決定戦の時も実際にはプレッシャーを感じていて……。だからメダルを獲ったときも嬉しいというよりはやっと解放されたという気分でした」
松岡「悠さん、試合は観ていましたか」
悠「観ていました。それも、自分の目の前でテレビカメラが3台も僕を映していたので、そこで応援させられました。実は次の日が試合で減量もあったんですけど、夫婦揃っての出場がマスコミに取り上げられていたし、カメラも用意されていたので、僕が行かないわけにはいかないじゃないですか」
松岡「でもせっかくなら生で応援したいと思いません?」
悠「映像は選手村にも流れていたので。しかも会場だと距離があって、視力が悪い自分だと余計見えない」