甲子園の風BACK NUMBER
1イニングで終わった世界デビュー。
佐々木朗希が自己主張したあの瞬間。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byAFLO
posted2019/09/18 07:00
佐々木朗希にとっては不完全燃焼となったU-18ワールドカップ。しかし彼のピークはずっと先にあるはずだ。
佐々木が捕手に要求することはほぼない。
一方、佐々木は、代表活動中に自分から捕手に何かを要求することはほとんどなかった。それでも、こだわりを持っている様子は感じられたと山瀬は言う。
「自分の中にいろんなこだわりや、しっかり自分のペースがあって、あとどれぐらい何をしたら自分のベストに持っていけるか、というものは、しっかり持っているなと感じました」
佐々木は、壮行試合でまめを作って以降、医師や理学療法士の診断を受けながら、着々とベストな状態に近づけていた。
奥川の球数が105球にせまり……。
そのペースが狂ったと思われるのが、5日のカナダ戦だ。
その日は奥川が先発し、本塁打による1失点のみに抑える好投を見せていた。しかし大会の規定で、投手の1試合の最多投球数は105球。105球に達すると、次の登板まで中4日を空けなければならないため、奥川は104球以内で交代すると決まっていた。
2−1という僅差の試合の中、奥川の球数が104球に達したら登板すると伝えられ、佐々木は慌てて肩を作った。
104球まであと何球、とカウントダウンされる中、急激に体と気持ちを高めた。その時ブルペンで投げた球数を、佐々木は覚えていないと言った。
「急いで作ったので、初めて。覚えていないです」
捕手の水上の記憶では50球ほどだったという。
結局、奥川は7回表を13球で抑えてトータル103球に収め、その裏に日本が3点を追加したため、8回表は飯塚脩人(習志野)がマウンドに上がり、佐々木のその日の登板はなくなった。