浅尾拓也の名言
僕にとってはどんな役割でも、野球ができるだけで十分でした。
浅尾拓也(プロ野球)
セ・リーグ優勝争いを毎年のように繰り広げていた頃の中日にあって、浅尾は誰よりも頼れるセットアッパーだった。2011年には中継ぎ投手として初のMVPを獲得するまでに飛躍。現役晩年には右肩の故障などがあって苦しんだものの、浅尾の名前がナゴヤドームにコールされたときの歓声は、どの投手よりも大きかった。プロ入り時点で「通用するとかしないとか、よく言われました」と評価が高くなかった中で、マウンドに立ち続けられることに感謝していたのだという。2019年から二軍コーチを務める浅尾は、ドラゴンズの将来を担う選手に野球ができることの楽しさを伝えている。
Number961号(2018/09/13)
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