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日米メジャー2冠達成! 堀口恭司が
“自力”で築く唯一無二のキャリア。
 

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byNorihiro Hashimoto

posted2019/08/14 11:40

日米メジャー2冠達成! 堀口恭司が“自力”で築く唯一無二のキャリア。<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

8月7日、フジテレビ前のステージでファン公開のワークアウトを行った堀口。女性や子供のファンも駆けつけていた。

山本KID門下になった理由とは?

 1990年生まれの堀口は少年時代に旧K-1やPRIDEを見て育った世代であり、プロファイターとしては常に海外を意識してきた。筆者が新人時代にインタビューした際も、はっきり「目標はUFCです。この世界で食べていきたいので」と語っていた。

 伝統派空手をベースとし、遠い間合いから一気に踏み込んでのパンチを武器とするファイトスタイルはオリジナリティに満ちている。というより、彼はそのキャリアすべてを“自力”で開拓してきたと言っていい。

 高校卒業とともに上京、プロになるため入門したのは山本“KID”徳郁率いるKRAZY BEEだった。KIDへの憧れだけでなく、打撃主体のファイトスタイルが自分のお手本になるという判断もあってのことだった。

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 放任主義のジムで、先輩たちから「恭司は大丈夫」と太鼓判を押され、アマチュア修斗1戦のみでプロデビュー。KOを量産したが、それはあくまで理詰めの闘いの結果だった。

 UFCに参戦し、海外で闘いを重ねる中でジムを移籍してもいる。新たに所属したのはフロリダの名門「アメリカン・トップチーム(ATT)」だ。

“MMAの首都”アメリカでは練習パートナーにもこと欠かない。堀口はRIZINが主戦場となった今もアメリカに住み、ATTで練習漬けの毎日を送っている。アメリカでできなくて困るのは空手の練習と「渓流釣り」だそうだ。

UFC離脱で“世界地図”を変える。

 UFC離脱、RIZIN出場もキャリア上の大きな決断だった。UFCでは軽量級は人気がないとされ、なかなか試合が組まれない状況で、いち早く世界最大の団体から“脱藩”したのである。もっとチャンスがほしかったし、RIZINで軽量級が盛り上がれば“世界地図”自体が変わると考えたのだ。

「(フライ級世界最強と目される)デメトリアス・ジョンソンがこっちにくる可能性だってあると思いますよ」

 RIZIN出場が決まると、そう語った堀口。それからしばらくして、ジョンソンはシンガポールを拠点とするONE Championshipにトレード移籍している。堀口、ジョンソンによって軽量級勢力図が大きく変わったのは間違いない。

【次ページ】 既成概念に囚われない自由な発想で。

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