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鈴木優磨、鹿島での17年間と別れ。
手本の金崎夢生を「必ず超えます」。 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byGetty Images

posted2019/07/17 18:00

鈴木優磨、鹿島での17年間と別れ。手本の金崎夢生を「必ず超えます」。<Number Web> photograph by Getty Images

クラブW杯で一躍有名人になるなど、鈴木優磨は“何かをしてくれそうな”雰囲気がある。ベルギーで大化けなるか、注目したい。

目の前にチャンスがあるなら挑戦を。

 そんな過去を振り返ったとき、やっと鈴木は気がついた。

「僕がサッカーを続けてきたのは、プロになりたいから。やれるかやれないかじゃない。今、目の前にそのチャンスがあるのだから、ここで挑戦するしかないだろう」

 2015年にプロサッカー選手になったものの、練習の紅白戦すら出られない状態が続き、ファーストステージはベンチ入りすらできなかった。

 状況が一変したのは、石井正忠監督(当時)が就任したタイミングだった。冒頭で紹介したガンバ戦後にはベンチに定着し、優勝争いをするチームの戦力に食い込んだ。2016年にはクラブW杯でも活躍した。

 しかし2017年、大岩剛監督に交代してからは、先発から控えの立場になった。

「今思えば、コンディションも悪く、精神的にもクラブW杯を経験し、調子に乗っているわけじゃないけれど、燃え尽き症候群みたいなものがありました。身体を強くしたくて、体重を重めに設定したことで動けなくなっていたんです。何もできず、監督の信頼を得るにふさわしい仕事もできなかった。本当に不甲斐ないシーズンでした」

 クラブW杯で垣間見たワールドクラス。そのレベルに近づきたいとの思いが強くなり過ぎて背伸びした結果、空回りしてしまったのかもしれない。

プロ意識を学んだ金崎を超えたい。

 そんな鈴木にとってライバルであり、プロとしての基軸を示してくれたのが金崎だった。

「海外も経験しているし、本当に本当に真面目な人。朝何時に起きているんだっていうくらい誰よりも早くクラブハウスに来て、体幹トレーニングをしていた。鹿島アントラーズ自体も、あの人が来てから変わったと僕は思っている。当時の鹿島には、ああいう、感情を表に出すタイプの人間が必要だったから。

 夢生くんを見て、俺だけじゃない選手も絶対何かを感じたと思う。夢生くんからプロとは何なのか、というのを学んだ。俺のなかで金崎夢生というストライカーの存在は大きいですね。必ず、超えます。あの人はなかなか認めてはくれないので、必ず」

 昨季、金崎が移籍したあとも、「夢生くんみたいにチームを勝たせなくちゃいけない」と鈴木は何度も口にしていた。それほどまでに秘めた思いがあったのだ。

【次ページ】 「やれ」と言われたポジションで。

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