松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
ボッチャの雄叫びエース・廣瀬隆喜
に迫る。修造、ボールの中身に驚愕!
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/06/17 10:30
世田谷区にできたばかりの希望丘地域体育館。ボッチャのラインが常時引かれている、日本でも有数のボッチャコートで対談は行われた。
「それくらいこの競技は奥が深い」
松岡「でも、陸上とボッチャだったら迷うでしょう。陸上なら誰でも知っているけど、当時はまだボッチャを誰も知らなかったと思う。迷いはなかったですか」
廣瀬「陸上もタイムで伸び悩んでいて、卒業後も続けるのであれば厳しいと思ってました。それもあったので、わりとすんなりと」
松岡「やってみて、どうでした? 面白かった?」
廣瀬「最初はもちろん思うように転がらなくて、寄せたり、弾いたりもできなかったんですけど、それが逆に面白いというか。ちょっとでもズレると曲がってしまったり、弱いと止まったり、複雑な分考えることが多いので、実際に思い描いたとおりのプレーができるとすごく嬉しいんです」
松岡「嬉しいから、雄叫びもでると(笑)」
廣瀬「ハハハ。けっこう自分の思うように投げられるまでに時間がかかって、今でもミスをすることはあるんですけど、それくらいこの競技は奥が深い。今年で16年目ですからね。これだけ続けられているのはボッチャが面白いから。それに尽きます」
まだ日本がパラリンピックに未出場の時代のこと。
松岡さんが、遠巻きに対談の様子を見守る母親の喜美江さんの方に視線を移す。聞いてみたいことがあるようだ。
松岡「お母さんは隆喜さんがボッチャを選んだときどう思いましたか?」
喜美江さん「なにかスポーツをやらせたいというのがあったので、基本的には賛成です。選択は本人に任せて、後はフォローするからと」
松岡「実際にこうしてパラリンピックにも出て、人生が変わった。選択は大正解だったんじゃないですか」
喜美江さん「良かったと思います。本人が選んだときはまだ日本がパラリンピックに出たことがない時代だったので、それを思うと本当に良かったなあって」
松岡「隆喜さんにとってはパラリンピックにまだ日本が一度も出ていないというのは大きなモチベーションだったんですか」
廣瀬「やっぱりパラに出て行かないと知名度は上がらないと思っていたので、最初の北京の頃はとにかく一度出たいという気持ちでやってました。パラリンピックに出るのが目標でした」
松岡「では、対戦しましょう! 負けませんよ!」
松岡さんは、やる気満々だ。廣瀬さんは余裕の笑み。ボッチャという競技に、ビギナーズラックは果たしてあるのだろうか……。
(次回に続く/構成・小堀隆司)