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ハミルトンにベッテル、プロストも。
不死鳥ラウダを追悼したモナコGP。
posted2019/06/02 17:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
またひとり、偉大なドライバーがこの世を去った。
ニキ・ラウダ――3度ワールドチャンピオンに輝いたレジェンドだ。
メルセデスの非常勤会長としてピットでもお馴染みの姿を見せていたラウダの体調が悪化したのは、昨夏だった。スペインでの休暇中に風邪をこじらせた後、肺炎を発症。自力で呼吸できないほどまで病状が悪化したラウダはその後、母国のオーストリアへ帰国し、肺の移植手術を行った。
ラウダは1997年と'05年にも腎臓を患い、兄フロリアン、そしてのちに2番目の妻となるブリジットから腎移植を受けた経験がある。ラウダの内臓がこれほどまでに悪化していたのに、'76年の大事故が影響していたことは想像に難くない。
奇跡の復活を遂げた不死鳥が……。
当時ドイツ・ニュルブルクリンクで行われたドイツGPで原因不明のメカニカルトラブルに見舞われたラウダは、コース脇に大クラッシュ。炎上したフェラーリのマシンに取り残されたが、ドライバーやコースマーシャルの懸命な消火・救護活動によって救出され、奇跡的に一命を取り止めた。
だが全身は大火傷を負い、特殊強化プラスチック製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだ肺は、深刻なダメージを受けていた。数日間生死の境をさまよっていたラウダの元には、神父が訪れたほどだった。
その後、奇跡的なカムバックを果たし、'77年に2度目のタイトルを獲得。一旦、引退した後、現役に復帰し、'84年にもチャンピオンに輝いたラウダを、人は不死鳥と呼んだ。
その不死鳥が、ついに還らぬ人となった。ラウダの死後、初めて開催されたグランプリとなった今回のモナコGPは、大きな悲しみに包まれていた。それはラウダが3度の王座に輝いた名ドライバーだったというだけでなく、ひとりの人間として、チームの垣根を超えて多くのドライバーから尊敬され、愛されていたからにほかならない。