ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
あと1歩でオーガスタに立てた青年。
中島啓太は負けず嫌いで尖っている。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2019/05/15 17:00
昨年のアジア大会では団体戦、個人戦で金メダルを獲得した中島啓太(日体大)。5月のダイヤモンドカップでは予選を通過し、4日間を戦い抜いた。
「この人、ヤバイわ」
埼玉・加須市の実家を出てゴルフ部の寮に入ってから間もなく、テレビの向こうでマスターズが始まった。日本代表の一員としてネイバーズトロフィチーム選手権という国別対抗戦を控えていたが、あちらの様子が気になるのも無理はない。
「マスターズの初日が始まるときはまだ寮にいたんです。もう始まったかなと思ったら、金谷さんは(1番から)バーディ、バーディでスタートして……。『この人、ヤバイわ』って思って寝ました(笑)。ビックリというか、本当にすごいですね……」
世界最高のゴルフショーで“ライバル”が躍動する姿を想像して、深い眠りにつけたかどうかは微妙なところではある。金谷は帰国後、日本ツアーの中日クラウンズでも決勝ラウンドに進んだ。
悔しさを力に変えてきた中島。
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胸にぐっと息を込めてから、中島は言った。
「正直なところ……正直なところ、マスターズも、日本でも、活躍されるたびに悔しい思いが出てきます。金谷さんに連絡したりするんですけど、そのたびに悔しいのがあります」
オーガスタでプレーしていたのは、自分だったかもしれない。あの時の1打が、あの数秒のうちの判断が。あるいは風が、ライが……。逃した魚の大きさや煌びやかさが実感できるからこそ、それぞれを振り返りたくなるのも当然だ。
どれだけ苦悶しても、時間はいつもと同じペースで進んでいく。
実は過去にも同じ先輩に快挙を阻まれたことがあった。2015年の第100回・日本アマチュア選手権に金谷は当時17歳51日で勝ち、史上最年少優勝記録を樹立。その時の2位が、まだ中学3年生、15歳の中島だった。
「そういうことが、多いですよね。ホント……」と笑う。
「でも、金谷さんのおかげで僕も海外志向になったんです。僕は負けず嫌いでもあるけれど、金谷さんの存在は大きい」
負けた悔しさばかりが目立つようではあるが、それがまた成長を促してきた。