ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
黒田雅之の6年間は世界に届かず。
選手も会長も燃え尽きた後楽園の夜。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2019/05/14 11:30
キャリア14年、6年ぶりの世界戦での完敗。それでも、黒田雅之の時間と精神は確かに後楽園で結実していた。
想定外の事態に弱かったメンタル。
川崎の小さなジムに大型新人が現れた―─。周囲の期待が高まる中、ここからが苦労の連続だった。
すぐにでも手が届くかに思われた日本タイトルを獲得したのは'11年のこと。この王座を4度防衛したが、その強打が爆発することはなく、引き分け防衛が2度、2-1判定の防衛が2度とパッとしないチャンピオンだった。
'13年に初の世界挑戦に失敗し、'16年には2階級目となる日本フライ級タイトル獲得に失敗。かつての大型ルーキーは“過去の人”になりつつあった。
入門当初から黒田を見てきた新田渉世会長は次のように証言する。
「黒田は朝走って、バイトに行って、ジムで練習して、家に帰るという生活パターンをとにかく毎日繰り返す。それはいいんだけど、想定外のことが起きるとすぐにパニックになってしまう。そこを直さなければダメだと思った」
新田会長は黒田にあえてストレスを与えるため、事前に伝えたスケジュールをコロコロ変えたり、夜中にいきなり電話をして呼び出したりと、愛弟子がたくましくなるように理不尽な仕打ちを続けた。「そんなバカな」と笑うかもしれないが、新田会長も黒田も殻を破ろうと必死だった。
井上尚弥との150ラウンド。
'12年にプロデビューした井上尚弥(大橋)とのスパーリングも黒田にとっては成長の糧になった。
世界3階級制覇を達成し、いまや世界の“モンスター”と評される井上とのスパーリングはだれもが怖がるし、「壊されてしまう」と断る選手も多い。何しろ井上はスパーリングでもまったく手を抜かない、という哲学の持ち主なのだ。
その井上と、通算すると150ラウンドもスパーリングをしている選手は黒田だけだ。
「スパーをした数なんて何の自慢にもならない」という本人の弁はもっともだが、タフで技術のある選手でなければ、井上とこれだけ手を合わせることはできない。