才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
「メダルは逃したけど……」水泳・田中雅美が語る
今だから分かる努力の意味。
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/05/14 16:30
苦しい思いをして頑張ってきたからこそ。
現役当時は、とにかくメダル、メダルで、メダルを取ることが幸せだと思っていました。自分のベストパフォーマンスをすることに重点を置かず、結果しか見えていなかった。だけど、引退をして、色々な選手に取材をして、彼らの人生を見させていただいたときに、メダルが取れることだけが幸せではないと気づいたんです。
一生懸命頑張っても、叶わないこと、結果が出ないことは現実にはある。でも別の形でも報われることはあるんです。努力のイコールは結果ではなくて、報われることだと信じています。私はメダルを取れませんでした。でも、こうしてお仕事をいただいたり、最高の仲間がいて、仲間に感謝できる心を持てていることって、苦しい思いをして頑張ってきたからこその報いだと思うんです。夢は叶わなかったけれど、努力してきたことは自分自身が一番よくわかっている。その報いを今ちょっとずつ自分の中で感じています。
今日あることに100%向き合っていきたい。
アスリートが引退した後って、選手時代はああだった、こうだった、輝いていた、みたいな話になりがちですよね。これは引退してからずっと思っているのですが、私は今を何よりも大事にしていきたい。今を大事にしていたら、絶対に明日は良くなるし、1年後はもっと良い自分でいられると思うので、1分1秒を大事に、今日あることに100%向き合っていきたいんですね。
そのためにはコンプレックスがあることって、結構大事だと思うんです。コンプレックスってネガティブに捉えられがちですけど、ものすごいエネルギーを生むんですよ。私には姉が2人いるのですが、昔からお姉ちゃんたちは、きれいだねって言われるんですけど、私だけお父さんに似ているねって言われることが多くて(笑)。そういうコンプレックスがあるから、美容に興味を持てる。メダルを獲得できなかったコンプレックスがあるから、どんどん前に進んで、新しいことをやっていかないと選手当時の自分にも勝てないと、仕事を頑張れているし、色々なことに挑戦する原動力にもなっています。
アメリカに留学していた時、ホストファミリーのお父さんに「Never too late, Never give up」って言われたことがあったんです。何かを始めるのに遅すぎることはないし、決して諦めないことが大事だと。今何歳だからとか、こういう状況だからというのではなくて、やりたいと思ったら、チャレンジしていくことが大事なんですよね。それによって新しい出会いがあるし、自分の世界もどんどん広がっていく。
みなさん思われていることかもしれないけど、40歳になったら、もっと母親らしくなっていたり、大人になっていると想像していました。でも、実際にその年になってみると、全然到達できていないんですよね。自分ってまだまだだなと感じるのと同時に、40歳って意外となんでもできるし、想像していたよりも発言力や行動力で色々なことが実現できるんだと感じました。
だからこそ、これからも色々なことに挑戦していきたいし、やりたいという気持ちがあれば、最大限にやるしかない。乗り越えられるかではなくて、今の自分にできることでアプローチをしていく。結果は結果でしかなくて、後からついてくるものです。そう思えるようになったのも、メダルを取れなかったあの経験があったからなのです。
田中 雅美Masami Tanaka
1979年1月5日、北海道生まれ。元・競泳平泳ぎの日本代表として、アトランタ、シドニー、アテネと三度の五輪に出場。シドニーでは400mメドレーリレーにて銅メダルを獲得。2005年に現役を引退。現在はスポーツコメンテーター、タレントとして様々なメディアで活躍。その他、イベントや講演会、水泳教室などで全国を飛びまわる。1児の母。
新しいナビゲーターに俳優の田辺誠一さんを迎え、番組デザインもリニューアル。アスリートの「美学」を10の質問で紐解き、そこから浮かび上がる“人生のヒント”と皆さんの「あした」をつなぎます。スポーツ総合誌「Number」も企画協力。
第55回:田中雅美(水泳)
5月17日(金) 22:00~22:24
元競泳選手の田中雅美さんは3大会連続で五輪に出場し、'00年シドニー大会の400mメドレーリレーで銅メダルを獲得。'05年に現役を引退後、結婚・出産を経て現在は1児の母。育児と仕事を両立する上での心がけやリラックス方法などを、着付け教室でのオフショットも交えてお聞きします。
第56回:山田幸代(ラクロス)
5月24日(金) 22:00~22:24
日本初にして唯一のプロラクロスプレーヤー・山田幸代選手。2017年には世界屈指の強豪国・オーストラリアの代表選手となり、同年のワールドゲームズではアジア史上初の快挙となるメダルを獲得。36歳になり日本ラクロス界の未来のために過ごす、彼女の前向きで活力に溢れた日常に迫ります。