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「メダルは逃したけど……」水泳・田中雅美が語る
今だから分かる努力の意味。
posted2019/05/14 16:30
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Kiichi Matsumoto
高校2年生で女子100m平泳ぎの日本記録を11年ぶりに更新するなど、目覚ましい活躍を見せていた田中雅美には、常にメダルへの期待がかかっていた。シドニー五輪では400mメドレーリレーで銅メダルを獲得するも、個人競技ではメダルに届かず、直後に第一線から退き、事実上の引退。約2年のブランクを経て、アテネ五輪でカムバックするも、200mは惜しくも4位に終わった。だが、田中は「今はあの4位に意味があったと思う」と語る。
1度目のオリンピックはチャレンジャーみたいな心境で臨みましたが、2度目のシドニー五輪のときは、自己ベストが世界ランキングのトップに入っていたので、自分も周りもメダルをすごく期待していたんです。それが100mは6位、200mは7位で終わってしまって。すごく挫折感を味わったし、人生の中であの瞬間が一番辛かったですね。
それでも最後のメドレーリレーでは仲間のおかげでメダルを取らせてもらって。自分には仲間がいる、仲間がいるから水泳をやれているんだと学ばせてもらいました。
ただ、シドニー五輪の直後は引退を考えていました。今は20代後半でもバリバリやっている選手が多いですけど、当時は大学卒業後も続ける選手って少なかったんですよね。
だけど全国各地の方々がお手紙やファックスをたくさん送ってきてくださって。それを読み返しているうちに、個人のレースでは涙しか見せていないし、出し切れたとは言えない、このままやめちゃいけないと思ったんです。色々な人の支えがあって、私は水泳をやらせてもらっているんだというのも強く感じました。
もし、あの時のたくさんのお言葉がなかったら、今の私はここにはいないと思います。シドニー五輪で競技人生を終えていたら、挫折感が大きすぎて、今頃、卑屈な人生を送っていたでしょうから。
苦しいときにどんな声をかけられるか。
一方で、シドニー五輪で成績を残せなかったことで、離れていった人もいました。五輪前までは熱心に応援や期待をしてくださった方が、すっといなくなったりして。調子が良いときは人は良く言ってくれるけど、調子が悪いときにどう接してくれるかがすごく大事なんだなということを学びました。これは今、伝える側の仕事をしているときにも大事にしています。選手って成績が良い時ばかりじゃないですよね。すごく苦しいときにどんな声をかけられるか。選手をやっていた自分だからこそ腫れ物に触るように引くのではなく、選手が頑張っている姿から私が得たことなどを伝えるように心がけています。
選手に限らず、辛い時って人に声をかけてもらいたいじゃないですか。「あえて連絡しない」という人もいますけど、それって思っていないのと一緒だと思うんですよね。伝わっていなかったら、思っていないのと一緒。男女の関係でもそうじゃないですか(笑)。