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「56kg対110kg」が女子柔道で実現。
中村美里、皇后杯での挑戦と未来。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2019/05/06 11:00
中村(左)は体重差50kg以上の児玉を相手に巧みな組み手と鋭い足技で戦うも指導を2つ受け延長戦へ、最後は払い腰で優勢負けを喫した。
一生現役かつ、後輩の指導も。
試合後、今後のことを聞かれた中村は、「未定です」としながら「世の中的には引退と思われるけど、柔道が大好きだし、一生現役のつもり。さらに上を目指したいと思ったときはまた(皇后杯に)挑戦したい。ただ、後輩の指導もしていきたい」と語った。
日本ではスポーツビジネスの規模が年々拡大しており、トップアスリートの活動スタイルや世界大会から退いた後のライフスタイルも大きく変わってきている。これまではメディアが「引退」という画一的な言葉で報じることが多かったが、これからは選手の考え方に応じた多様なスタイルがあることが前提となっていくのだろう。
皇后杯で得た新鮮な感情。
「52kg級のときは同じくらいか1つ上の階級の選手と練習していました」という中村は、皇后杯に出るにあたり、自分より大きな選手との稽古を繰り返し、それによって新たな自分の能力を引き出されたという。
「大きい人とやることによって、体力面や筋力がアップしました。伸びしろというか、体の力の伝え方など、いろいろなことを感じられました。軽量級でも大きい人と練習したり普段の基本練習をするのは大事。今後のヒントになります」
19歳で'08年北京五輪に初出場して銅メダルを獲得した頃、感情をあまり顔に出さないことで「笑わない柔道家」と呼ばれたことがある。'12年ロンドン五輪では北京五輪の準決勝で敗れた北朝鮮の安琴愛(アン・グムエ)と初戦(2回戦)で再び対戦して敗れたが、涙をこらえていた。
それから4年、'12年の左ひざ手術から復帰して臨んだ16年リオ五輪では3位決定戦を制して2度目の銅メダルに輝き、表彰台で微笑んだ。
そして、今回の皇后杯。
中村は「今までになかった雰囲気を感じながらやりました。応援の人の声がたくさん聞こえて、延長戦に入ってからは、きつかったけど、いろいろな人と一緒に闘っている気持ちでした」と新鮮な感情を口にしている。