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富樫勇樹の原点は恩師の言葉。
「バスケ界のカズになれ」
text by
石川歩Ayumi Ishikawa
photograph byB.LEAGUE
posted2019/04/22 17:00
試合当日は秋田・水町亮介(中)の引退セレモニーも行なわれ、元チームメイトの千葉・富樫勇樹(左)と田口成浩(右)が花束を贈呈。
若いうちからアメリカに行くのは賛成。
富樫がアメリカ留学を決意してから10年が経った。アメリカ行きを提案して富樫の可能性を広げた中村は78歳になり、今は全国の高校バスケの指導にあたっている。
中村が学生時代から見てきた選手のなかには、ワールドカップ出場決定の原動力になった渡邊雄太と八村塁もいる。
「最初に尽誠学園で雄太を見たとき、びっくりした。雄太は人のためにプレーができる性格のいい子なんだ。彼の両親に、雄太は日の丸を背負う選手だからアメリカに行かせるべきだと話した。次に八村塁がアメリカへ行った。八村は別格だ。彼はスーパースタータイプだからNBAでもやっていける。
若いうちからアメリカに行くのは賛成。それが、日本代表には必要なことだから。そして、選手なら日の丸を着る努力をするべきだ。選手にとって“ナショナルチーム”は全く別物で、日本代表として他国の選手と触れ合うのは、本当に素晴らしいことだから」
愛弟子・富樫へ送る言葉。
バスケ男子日本代表は、ワールドカップに続き、東京オリンピックの出場が決まった。これから本番へ向かっていく富樫へ、中村はこんな言葉を残した。
「ワールドカップのアメリカ戦で、小さくても、勇樹の速さと駆け引き、アウトサイドが通用するところを見せてほしい。アメリカ戦で勇樹の良さを出すプレーをしてから、オレにものを話せ。これからも勇樹と友だちでいたいから、がんばるんだぞ」
中村と富樫の友情は末長く続くだろうか? 私たちは、わくわくしながらそれを見守ろう。
中村和雄(なかむら・かずお)
1940年12月4日生まれ、秋田県男鹿市出身。鶴鳴女子高校の指導者を経て、共同石油(現JX-ENEOSサンフラワーズ)を日本リーグに昇格させ日本一に導く。その後、女子日本代表、オーエスジーフェニックス(現三遠ネオフェニックス)、秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBなどでヘッドコーチを歴任し、日本バスケットボール界で数々の功績を残している。高校バスケットボール界を代表する全国の16校が集まるカップ戦『KAZU CUP』は中村の名を冠しているほか、渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口に『心をこめて』という中村の言葉が刻まれたモニュメントが設置されている。