“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J3最下位も味わった北九州。
ミクスタと共に歩む再建への道。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/04/21 17:00
J3第6節アスルクラロ沼津戦では今季初黒星を喫したが、期待を抱かせる戦いを見せるギラヴァンツ北九州。
新スタジアム開幕の年にJ3降格。
北九州はミクスタが完成した年に舞台をJ2からJ3に落とした。昨年は屈辱のJ3最下位になるなど、結果を残せていない。
'10年にJ2昇格を果たした北九州は、しばらく低迷が続いたものの、柱谷幸一監督のもとで'14年5位、'15年7位と、J1昇格を視野に入れるほど急成長を遂げていた。その中でミクスタ建設も決まり、まさにクラブは昇り調子にあった。
だが、歯車が狂いだしたのは、柱谷幸一政権4年目を迎えた'16年。思わぬ低迷の末、まさかのJ3降格。“ミクスタ開幕”をJ3で迎える事態となった。
「来年に新スタジアムが完成するというのに、『本当に落ちてしまうのか』と焦っていました。スタジアムをつくることは、クラブのみならず、周囲の大きな力がないと実現しません。クラブにいる人はもちろん、スポンサー企業、北九州市という地域全体を含めて、ものすごく大きな力がひとつになって実現したのに……。申し訳ないというか、そこへの責任が大きかった」
こう語るのは'15年にザスパクサツ群馬から加入し、今年で在籍5年目を迎えるMF加藤弘堅だ。
加藤は当時J2だった群馬から契約満了を告げられるが、真っ先に柱谷幸一監督が獲得を熱望。「北九州に拾ってもらったから、プロを続けることができた」と、決意を持って北九州にやってきた。ここからの物語は加藤のサッカー人生とリンクするものも多く、彼の証言をもとに構成していきたい。
痛かった2人のFWの不在。
加藤は加入1年目にボランチとしてリーグ30試合に出場したが、降格した'16年はリーグ21試合の出場に留まり、特に終盤はスタメンから外れることも多かった。ただ、それ故に、より冷静にチーム全体を見ることができた。
「当時は全員に『落ちるわけにはいかない』という強い気持ちがあった。でも、どうしても守備的な戦いが多くなり、結果が出なくなるにつれて、失点を恐れる傾向になってしまった。『点を取らないと勝てない』という声は出ていたけど、成績が付いてこないとより縮こまって、後ろが重くなってしまう……。悪循環でした。
中でも、チームとして痛かったのが、ゴールを量産していた小松塁(現・セレッソ大阪スクールコーチ、'15年は18ゴール)くんが怪我をしたり、ジョーカー的な役割を果たしていた渡(大生、現・サンフレッチェ広島、'15年は7ゴール)が抜けたのが本当に大きかった。彼が徳島(ヴォルティス)に完全移籍をしたことで、流れを変えられる存在がいなくなってしまった。本当にいろんな要素が悪い意味で噛み合ってしまった1年だった」
'16年最終節では、結果次第でJ3チームとの入れ替え戦に回るチャンスがあった。しかし、北九州はモンテディオ山形に敗れ、さらに前節時点で最下位だったツエーゲン金沢が首位のコンサドーレ札幌と引き分けたことで、最下位に転落。入れ替え戦を待たずして、J3降格の憂き目にあった。