オリンピックへの道BACK NUMBER
順位や点数に収まらない美の衝撃。
世界選手権の羽生結弦の忘れがたさ。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2019/04/04 08:00
羽生結弦の世界選手権は2位に終わった。しかし、その言葉から溢れる真実が確かに存在した。
数字に収まらない忘れがたい演技。
今シーズンの中では最高得点を獲得することになったが、ショートでトップに立ったネイサン・チェン(アメリカ)を逆転することはかなわず、2位にとどまった。優勝はならなかった。
だがそうした数字だけで、羽生の演技を収めるわけにはいかない。氷上にあったのは、観る者の心を揺さぶる、忘れがたい演技にほかならなかった。
むろん、それはただの私感に過ぎないかもしれない。たとえそうだとしても、確かにそう感じさせた。
スポーツを語り継ぐ、ということ。
しばしば、過去のスポーツの文章を読むことがある。自分が見たわけでもない選手や試合を描写した記事に目を通す。
すると、数字は華々しくなく、成績の上では突出したものがないのに、なぜか深く心に残ることがある。
一例をあげれば、プロ野球がそうだ。本塁打でも打率でもトップではない選手にもかかわらず、その存在感がくっきりと印象付けられる。それこそ実際に観たこともない時代の選手の魅力が、生き生きと感じられることがある。端的に言えば、データには映らない魅力をそこに感じとることがある。だから「列伝」ものを読むのは楽しい。
プロ野球に限らず、どの競技であってもそうだ。優勝者ではなくても、記憶に深く刻まれるシーンがあり、きっと語り継がれるべき場面がある。
むろん、スポーツにおいて記録は重要だ。記録こそ残されるべきであり、のちに参照され、比較されることにもなる。
ただし、記録がすべてではない。記録には残らなくとも、記憶に残されるべき試合があり、光景がある。
そして試合そのものはもちろんのこと、試合に至る過程、試合の中での紆余曲折……そうした一連の事柄こそ、数字だけでは表せない。そのとき、文章であれ写真であれ形式を問わず、記録される意味が浮き彫りになるし、語り継ぐ役割を帯びることになる。