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「明徳イズム」を引き継ぐ公立校。
勝因は“メイショウ”の分析にあり!
posted2019/03/28 17:30
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Kyodo News
第91回センバツが大会5日目を迎えた3月27日。第1試合の終了に合わせてインタビュー会場で待機していると、背後の会話が耳に入ってきた。
事情に明るくないらしい記者の質問に、事情に通じた記者が答える。
「メイショウ?」
「そうですね、メイショウのメイショウ」
2人の間で、声にならない笑いが起きた。
数分後、話題の人は勝利チーム用のお立ち台にのぼった。明石市立明石商業、略して明商の名将と称された、狭間善徳監督である。
昨夏から2季連続、春は初出場だった2016年以来、甲子園にやってきたのは通算3度目だ。過去の成績は、ベスト8('16春)と初戦敗退('18夏)。名将などと持ち上げるのは早すぎるようにも思える。
明徳・馬淵監督の下で築き上げた野球観。
だが、54歳のキャリアを知れば、誇張が過ぎるとは言い切れない。
狭間は1993年からの14年間を、高知の明徳義塾に捧げた。寮の管理をしながらコーチとして中高の野球部を指導。その後、中学野球部の監督に就くと4度の全国優勝に導いた('00、'01、'03、'05年)。参加校数が9000にも上るという大会で優勝を重ねた事実は、卓抜した指導手腕抜きには説明がつかない。
明徳義塾高校・馬淵史郎監督の傍らで学び、築き上げてきた野球観は、精巧に組まれた石垣のように隙がなく堅牢だ。そして内部に秘めたマグマが、石組みを赤みが差すほど熱いものにしている。
今年1月の末、筆者は明石商を訪ねて狭間に話を聞いたが、約2時間ぶっ通しで関西弁の言葉の矢を浴び続けた。明徳時代の苦労や、公募によって明石商に着任してからの日々、野球や人生に対する考え方など、本が1冊書けそうなほど実にさまざまな話をしてくれた。