草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
今もなお語り継がれる「与田の18球」。
監督初戦は因縁深きベイスターズ。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2019/03/14 11:15
現役時代にバッテリーを組んだ中村コーチと練習を見守る中日・与田監督。選手としては新人時代の31セーブが、最も数字を残したシーズン。
星野監督が指名した新人・与田。
「僕がデビューした球場。この地にユニホームを着て立つことができるのはすごく感慨深いですね」
こう話した与田剛監督のプロ初登板は、'90年4月7日。ベテランでも緊張する開幕戦で、おまけに同点の延長11回、無死一、三塁というとてつもなくしびれる場面だった。
相手は横浜大洋。延長10回に両チームが1点ずつ取り合う白熱した展開だった。毎回のようにピンチを背負っていた先発の西本聖もついに限界が近づいた。この大ピンチに与田を指名したのが星野仙一監督だった。
覚醒したストレート、球速は150km。
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以下、与田監督の著書『消えた剛速球』をもとに再現する。
「こんな大事な場面に新人のオレでいいのか」という不安を「いや、それだけ星野監督は期待してくれているんだ。絶対に応えてみせる」という意気込みが吹き飛ばした。打席には田代富雄。全盛期は過ぎたが、実績十分の元主砲はとっておきの代打だった。鼻息の荒い与田が捕手の中村武志のサインをのぞきこむ。
「え、ここでフォークなのか?」
プレートを外そうかという思いを何とか飲み込み、フォークを投げる。懸命に止めた中村が、すぐにタイムを取ってマウンドに駆け上がった。
「与田さん、どうしたんですか?」
中村の要求はストレートだった。初登板の緊張と興奮が、与田から冷静さを奪っていたのだ。
「暴投にならなくて良かった」
胸をなで下ろし、落ち着きを取り戻した与田は、そこから鬼神のように剛速球を投げ続けた。