松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
修造感服!パラカヌー瀬立モニカは
今の自分を「最強」と言い切った。
posted2019/01/29 07:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。女子パラカヌーでリオパラリンピックにも出場した21歳の瀬立モニカさんは、高校1年のとき、体育の授業で倒立前転を失敗、体幹機能障害を負い、車椅子生活を余儀なくされたが、パラカヌーを始めてわずか2年足らずでリオデジャネイロ・パラリンピックに出場を果たす。
その大きな体験が、彼女に大きな「気付き」と、新たな目標をもたらすことになる……。
「めちゃくちゃ悔しかったです」
松岡「改めて訊きます。リオで得たものは?」
瀬立「うーん、繰り返しになるけど、ちゃんと自分を受け入れられたこと。障害を受け入れて、覚悟が持てたのが1つ大きなことでした」
松岡「良かったとまでは言えないけど、受け入れることで障害ともしっかり向き合えたり、理解できたり、このケガと共に生きていくんだという覚悟ができた」
瀬立「そう! そこ、すごくうまく代弁していただきました。パラリンピックで初めて国の代表にもなって、誇りも同時に生まれました」
松岡「初めてのパラリンピックで8位入賞という結果も立派です」
瀬立「でも、その結果にはぜんぜん満足していません。ケガをして、その3年後にパラリンピックという舞台に立てたことはすごく嬉しかった。ただ、決勝では断トツのビリですから。めちゃくちゃ悔しかったです」
松岡「でも入賞じゃないですか。みんな喜んでくれたと思いますよ」
瀬立「トップ集団とは、別次元と思うくらいスピードが違ったんです。同じ土俵に立っているのが恥ずかしく思えたほど。帰国してから何度もビデオを見返したんですけど、悔しさしか出てこないです」
松岡「でもその悔しさが、また新たなモチベーションを生む機会にもなったんじゃないですか」
瀬立「そうですね。2020年東京大会では絶対にメダルを獲りたいと思いました」
松岡「ちなみにリオの時は、どんな気持ちで大会に臨んだ?」
瀬立「リオの時は、決勝に残って、あわよくばメダルを獲りたい、というくらい」
瀬立モニカ(せりゅう・もにか)
1997年11月17日東京都生まれ。中学時代にカヌー部に所属。高校1年、体育授業中の事故で車椅子生活となる。2014年にパラカヌーを始め、翌2015年世界選手権に出場。2016年リオデジャネイロ・パラリンピックに出場し、女子カヤックシングル(運動機能障害)で8位入賞。2017年にはワールドカップやアジアパラカヌー選手権で優勝。2020年東京パラリンピックでは、金メダル獲得を目指している。現在は江東区カヌー協会に所属し、筑波大学体育専門学群で勉学に励んでいる。
松岡「変わりましたね……。オリンピックやパラリンピックを実際に経験したときの感じ方って、おそらく人によって違うと思うんです。初めて世界トップの技や力量に触れて、これはあまりにも才能が違いすぎるから自分には届かないだろう、と思うのか、頑張れば俺はトップにも行けると思うのか。僕はテニスプレイヤーだった現役時代には、『あわよくばその近くに行ければ良いな』と思ったんです。でも、錦織圭は『トップに絶対行ける』と考えた。僕と圭の違いは、そこにあるなと思っています。では、モニカさんは松岡派か錦織派か、自身をどちらだと思いますか」