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コンサドーレ史に残る奇跡の立役者、
「古川先生」は東洋大監督で奮闘中。
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph byIsao Watanabe
posted2018/12/20 07:30
かつて札幌などに所属した元Jリーガー、古川毅監督(右端)率いる東洋大。インカレ初勝利で部の歴史に新たな足跡を残した。
そこには必ず古川がいる。
開幕直前のケガもあり、このシーズン初めての公式戦出場だったが、互いにオープンな撃ち合いとなった試合終盤から延長戦にかけて、卓越した危機察知を見せ、相手のクロスやハイボールの落下点に先回りしては次々クリアした。
当時の取材メモには、本人の「ここで頑張らないで、いつ頑張るんだと思って走りました」とのコメントが残っていたが、そこには必ず古川がいるとばかりの的確なポジショニングとカバーリングで、圧倒的な存在感を示してみせたのだ。
'72年9月21日青森県生まれ。同じ三戸郡出身で1年先輩の下平隆宏(柏レイソル元監督)とは、幼稚園から小学校、中学校、五戸高校まで、すべて同じだったそうだ。仙台大学を卒業後、大塚(現・徳島ヴォルティス)で2年間プレー。そこでの活躍が評価され、'97年札幌に移籍する。
移籍後はレギュラー定着とはいかなかったが、ケガ人や出場停止の選手が出るたび、センターバックやボランチでゲームを引き締めた。そのクレバーなプレーぶりや丁寧で論理的なインタビューでの語り口、教員免許を持っていたことなどがあいまって、サポーター間ではいつしか「古川先生」の愛称が定着していた。
東洋大初の1部昇格を実現。
札幌に在籍した6年間で、昇格と降格を2度ずつ経験。その後プレーしたモンテディオ山形を最後に10年間の現役生活を終えると、少年時代からの目標であった指導者の道へと進む。
京都サンガF.C.のアカデミーコーチ、札幌大サッカー部監督と指導経験を重ね、現在は東洋大学サッカー部の監督を務めている。
東洋大就任1年目の'12年、いきなり関東大学リーグ2部で優勝。1966年の創部以来、初めてとなる1部昇格を実現する。このときは1シーズンでの降格を余儀なくされたものの、'15年には夏の全国大会「総理大臣杯」に初出場。'16年には2度目の1部昇格、'17年は初の1部残留と、一歩一歩大学サッカー界における東洋大の立ち位置を高めてきた。
そして今年は、前期リーグで10位と出遅れたものの、守備を整備して後期に巻き返し。ラスト10試合を負けなしで7位に浮上。リーグ最終節の国士舘大戦に引き分けて、大学サッカー最高峰の大会である「全日本大学選手権(インカレ)」の出場権を、創部53年目にして初めて手にした。