Beyond The GameBACK NUMBER
青年監督の蹉跌について。
~高橋由伸に、1980年の長嶋茂雄が重なる~
posted2018/11/01 15:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
1980年10月21日。東京・大手町にある読売新聞本社の大会議室には300人を越える報道陣が集まっていた。
「2000万人とも2500万人とも言われるファンの皆さまに対して、成績が不本意だったという、そのことのみで、男としてのケジメをつけ責任をとりたいということです」
この年セ・リーグ3位に終わった長嶋茂雄は、こう語って巨人監督を辞任した。1974年に現役を引退して、そのまま監督としてチームを率いる難しさを痛感した6年間だった。
「最初のときは理想に燃えていましたからね。自分が監督になったらこうしたい、ああしたいと、思っていたことが一杯あった。ただ、実際にプレーをするのは選手なんです。なかなか思うようにはいかない。だからチームを作り変えないといけないと思ったんだ」