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<30回大会記念インタビュー>
現場トップが語る1987年鈴鹿
「F1は想定外の速さだった」

posted2018/10/03 15:00

 
<30回大会記念インタビュー>現場トップが語る1987年鈴鹿「F1は想定外の速さだった」<Number Web> photograph by Wataru Sato

土屋一正氏。

text by

生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

PROFILE

photograph by

Wataru Sato

鈴鹿サーキットでのF1グランプリが今年、30回大会を迎える。
のちに日本を席巻する人気イベントはいかに根付いたのだろうか。
手探りで大会をスタートさせたオフィシャルチーフが振り返る。

 1987年10月29日、27台のF1マシンが初めて鈴鹿サーキットを疾走した。以来、日本のF1グランプリは、国中を巻き込んだ爆発的なブームや'07、'08年の富士スピードウェイ開催、冠スポンサーの変更などを経験しながら、今秋の大会で鈴鹿開催30回を数える。

 その記念すべき第1回大会を無事に運営した鈴鹿サーキットは、のちに主催者から高く評価されベストオーガナイザー賞を受賞した。まったくの未知だったグランプリサーカスを迎え、見事に大会を成功させたのは総勢600名ものレースオフィシャルたち。そのうちの一人、各ポストからマシンの動きを監視するコースオフィシャルを束ね、決勝レースではチェッカーフラッグを振った土屋一正氏に、初めて体感したF1レースウィークを振り返ってもらった。


――さっそくですが、土屋さんが鈴鹿でのF1開催決定を知ったのはいつですか。

「'86年の秋、レースの1年前です。私は'71年にオフィシャルの活動をはじめて、鈴鹿では2輪の8時間耐久ロードレースとWGPでも旗を振ってきました。いつかF1でもやれたらいいなという気持ちはありましたが、まさか本当に来るとは」

――オフィシャルの方々は、どういう段取りで準備を進めたのでしょう。

「自分たちですべて決定できた8耐や国内フォーミュラとは違って、F1はヨーロッパのプロモーターとの合同作業になります。我々としては万全の態勢で受け入れて、なんとか成功させようという思い。ですからその1年間は、52週のうち40週末を鈴鹿か名古屋でのミーティングに費やしました」

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
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土屋一正

F1の前後のコラム

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