ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
地震の日、日本ハムの選手たちは……。
被災の現実と向き合い、生まれたもの。
posted2018/09/28 11:15
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph by
Kyodo News
もう20日以上も前になる。北海道は日常を取り戻しつつある。球音も、よみがえった。
だが今も、証しは残っている。
「生きてます!」
一軍マネジャーの携帯電話。LINEのグループのトーク履歴には、いくつもの「生きてます!」が残っている。送信者は、選手たちである。
9月6日、午前3時7分に「北海道胆振東部地震」が発生した。一軍マネジャーが奔走した、選手たちの安否確認の記録を見ると、生々しい。
前夜に旭川スタルヒン球場でのナイターを終えて、一軍は札幌へと戻っていた。到着は深夜。深い眠りに落ちている時間帯に、強い揺れに襲われた。その遠征帰りの選手の大半は、札幌市内の合宿所を生活拠点に置いていた。ほぼ全員が、自室から飛び起きてきたという。
札幌でも生活は停止した。
話題を、小職への体験談へと移す。住まいは、札幌市内のマンションの8階。寝床はベッドではなく布団。いきなり背中を蹴られたような衝撃に襲われた。うっすらと目が覚める。鉄筋コンクリート造りのマンションが揺れる。聞いたことがないような、きしむ音が響く。
動けなかった。じっと収まるのを待った。2007年の「新潟県中越沖地震」は、故郷の新潟で。2011年の「東北地方太平洋沖地震」は、東京で経験していた。それでも、一番恐怖を感じたのが今回だった。
北海道内で札幌市は比較的、甚大な被害が及んだエリアではなかったが生活は停止した。日ごろ、恵まれた環境に身を置くプロ野球選手も例外ではなかった。「ブラックアウト」と称された大規模で広域な停電の打撃は、強烈だった。
合宿所内は、日中は薄暗く、日が落ちれば真っ暗である。ガスが使用でき、食料の備蓄品もあったことで栄養面は度外視でも、空腹を満たす食事はできた。
ただ生活は困窮した。シャワーを含めて入浴は不可。分かりやすい例で言えば、携帯電話の充電も不能だった。合宿所内のトイレは使用できず、用を足すには1度、外へと出て隣接する室内練習場まで足を向けた。