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筒香嘉智が横浜高の4番だった頃。
松坂世代を追い、渡辺監督に学び。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2018/08/14 07:00

筒香嘉智が横浜高の4番だった頃。松坂世代を追い、渡辺監督に学び。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

横浜高校からベイスターズの主砲になった筒香嘉智。その経歴は横浜を愛する野球ファンにとっては尊い存在だ。

高1から菅野智之との因縁が。

 高校1年生の夏。神奈川県大会準決勝。相手は宿命のライバル東海大相模。投手はその後、読売巨人軍のエースとしてプロの舞台で名勝負を繰り広げることになる菅野智之。この試合の4回。東海大相模は3点を取り、なお2死一、三塁で打者・菅野はワンバウンドのボールを空振り三振。

 主審がストライクコールをしたことで横浜ナインがベンチへ引き上げるも、菅野はダイヤモンドを回り始め、ランナー2人と共にホームイン。これが振り逃げと認められ、ダメ押しの3点を献上した横浜高校は4対6で敗れ去った。

「あのプレーの時、僕はサードを守っていたんですけど、ランナーが走っていることにまったく気がつきませんでした。結局、負けてしまうのですが、試合後に3年生の先輩が泣いている姿を見て、初めて重みを知ったというか……自分が打たないと、頑張らないと、チームや先輩に迷惑が掛かるということを感じました」

 新チームになって秋の関東大会で優勝、春のセンバツで初めての甲子園を経験すると、2年の夏には南神奈川県大会を勝ち抜き甲子園への切符を手にした。

「県大会の間、バッティングの感覚はずっとよかったんですけど、結果がなかなか出なかったんです。決勝も途中で替えられていますしね」

2年夏に1試合8打点のタイ記録。

 筒香は主軸を打ちながら打率1割台と苦しんでいた。渡辺が回想する。

「筒香は自分から『スイングを見てほしい』と言ってくるようなタイプではないのですが、一度だけ本当に悩んで相談に来たことがありました。なかなか結果が出ず、バットを寝かせて打とうとしていたんですよ。

 小さい時から遠くへ飛ばすことを目標にやってきた選手が、いまさらバットを寝かせて何になるというのか。遠くへ飛ばせ、遠くへ飛ばせ。そんな言葉を掛けたことを覚えています」

 筒香の甲子園でのハイライトは、2年生の夏だった。初戦の浦和学院戦の第1打席で本塁打を放ち、2安打4打点。2回戦、3回戦でも2安打し、迎えた準々決勝の聖光学院戦では満塁弾を含む2本の本塁打で、1試合最多タイ記録となる8打点。全国にその名を轟かせると同時に、チームもベスト4に入った。

「センバツで甲子園に初めて出た時は、もの凄く緊張したことを覚えています。憧れの場所でプレーできたことは思い出です。夏にホームランを打てたことも嬉しかった。でも、まだ先輩もいましたし、自由にやらせてもらっていました。自分としても今まで見てきた先輩たちより全然打てなかったので、まだまだという感じです」

【次ページ】 技術は小倉部長、人間性は渡辺監督に。

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