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筒香嘉智が横浜高の4番だった頃。
松坂世代を追い、渡辺監督に学び。
posted2018/08/14 07:00
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
Hideki Sugiyama
そんな日本を代表するスラッガーが人生を変えるきっかけとなった幼き日の
「あのチーム」への憧れを語った。
夏の甲子園・第100回記念大会に出場の横浜高校。
その卒業生で今や日本の主砲となった筒香嘉智。
Number933号(2017年8月9日発売)掲載のストーリーを特別に掲載します。
筒香嘉智はいつも泰然自若としている。
三冠王を目指せると言われても個人的な数字は口にせず「目標はチームが優勝することです」と言い、劇的な本塁打を放っても「普通です」と肩透かしを喰らわせる。
25歳にしてチームをまとめる主将。日本を代表する選手となった今も、経歴を彩る美談やエピソードの類は極端に少ない。幼少期から中学、高校、そしてプロと目の前の結果にとらわれず、積み重ねてきたひとつひとつの経験や出会いが、今に繋がっていると語る。
そんな筒香が通算69本塁打を放ち「ハマのゴジラ」と渾名されていた高校時代に、対峙してきたものとは何だったのか。
「高校時代のライバルですか……人と比べるという考え方をしたことがないので、意識したことはありませんでしたね」
実に筒香らしい答えである。
「菊池雄星選手は凄いなと」
「ただ高校時代に対戦して凄いなと思ったピッチャーは菊池雄星選手ですね。練習試合を2回やったことがありますが、あんな速いボールは見たことがなかった。衝撃という意味では一番凄かったと思います」
筒香と同世代、甲子園を沸かせた世代最強左腕、花巻東の菊池雄星とは練習試合で2度対戦している。結果は筒香の6打数5安打1本塁打。しかも3年生の5月にベイスターズ球場のライトへ120m弾を放った試合は、直前に39度の熱を出しながら、点滴を打って強行出場してのものだった。
「たまたまです。ホント、僕にとってはたまたまというイメージなんです」
偶然。どこまでも謙虚である。
「ただ、僕の場合は特別なライバルというよりも、『横浜高校の先輩たちのようになりたい』という思いが強かったですね。横浜高校は自分にとっては憧れの存在でしたし、やっぱり『勝つことが当たり前』というチーム。その伝統というものへの意識は常にありましたね」