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ベルギー黄金時代を築いた10年間。
攻撃陣は世界トップ、つけいる隙は?
posted2018/07/02 12:00
text by
粕谷秀樹Hideki Kasuya
photograph by
Getty Images
1980年から20年近く、ベルギー代表は安定していた。
GKジャンマリー・プファフ、DFエリック・ゲレツ、FWヤン・クーレマンスを軸とした'80年代は、'80年のヨーロッパ選手権で準優勝。2年後のスペイン・ワールドカップはグループステージで敗退したものの、開幕戦でアルゼンチンを、あのディエゴ・マラドーナを擁するディフェンディングチャンピオンを、1-0で破る番狂わせを演じてみせた。
'80年代中期になるとエンツォ・シーフォ、ジョルジュ・グルンといった若手が台頭し、'86年のメキシコ・ワールドカップではベスト4に進出している。その後も2002年の日韓共催までワールドカップには4大会連続で出場するなど、国際舞台で一定の評価を得ていたヨーロッパの強国である。
一時期FIFAランクで71位にまで後退。
ところが、2002年以降はワールドカップ、ヨーロッパ選手権ともに予選を突破できず、FIFAランクが一時は71位まで後退する。「ベルギーの至宝」といわれたシーフォが'98年に現役を退いた後、タレントが急速に枯渇していたのだから無理もない。
誰もが認める一線級はスタンダール・リエージュ、ベンフィカ・リスボンなどで活躍した名GKミシェル・プロドオムただひとりで、エミールとムボのムペンザ兄弟はメディアが煽る存在でしかなかった。
「終わったな」
世界中のサッカー関係者が、ベルギーを見限ったのだが……。
2008年、東アジアで復活の狼煙が小さく上がった。北京オリンピックである。
メダル獲得には至らなかったが、準々決勝で強豪イタリアを破ってベスト4。ベルギーのプライドは十分すぎるほどくすぐられた。