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七転八起のスケート人生に終止符。
村上大介はなぜこれほど愛されたか。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO

posted2018/06/25 10:30

七転八起のスケート人生に終止符。村上大介はなぜこれほど愛されたか。<Number Web> photograph by AFLO

異色の経歴ながら日本を代表するスケーターとなった村上大介。今後も発展に尽くしてくれるはずだ。

アクシデントに泣かされた競技人生。

 ショートプログラム3位でフリーに臨んだ村上は、『ピアノ協奏曲第2番』を完璧に滑りきり、逆転優勝を果たす。終わった瞬間、客席はスタンディングオベーションで彼を称えた。この大会では1試合で3本の4回転サルコウを決めた初めての日本人ともなった。さらに同シーズンは四大陸選手権にも初めて出場し、4位となる。

 続く2015-16シーズンは初めてGPシリーズに2戦エントリーし、GPファイナル進出も果たした。

 だが、順調だった歩みが再び暗転する。2016-17シーズンは右足甲の怪我によりGPシリーズ以降、すべての大会を欠場。オリンピックイヤーとなった2017-18シーズンはNHK杯にエントリーしていたが、急性肺炎で欠場を余儀なくされた。

「出たい」と語っていた平昌五輪出場へのチャンスは、全日本選手権で結果を出すことのみ。情感を込めて演じ切るも総合5位に終わり、オリンピックへの道は閉ざされた。

 こうして振り返ると、アクシデントに何度も泣かされた競技人生だった。裏返せば、突き落とされてもそのたびに這い上がってきた、山あり谷ありの競技人生でもあった。

「やめようと思った」瞬間は何度もあったと語っていた。それでも粘り抜いてきた。

無良、羽生が贈った心からの拍手。

 アクシデントばかりではない。日本で選手登録したあとは、アメリカとの練習環境の違い、日本語が十分話せないことなどに戸惑った。競技を続ける環境にも苦しみ、自ら支援してもらえる企業を探し求めもした。

 根底には、「初めてリンクを見たときにはまった」という、スケートへの愛情があった。だから手を抜くことなく、進んできた。2017年の全日本選手権での言葉がそれを物語る。

「頭を上げながら、歩いていきたいと思います」

 引退を表明した今、その存在についてあらためて振り返ると、多くの人に愛されたスケーターだったと思う。何より、選手たちに愛されていた。

 GPシリーズ初優勝を飾ったNHK杯での光景は象徴的だ。3位に入った無良崇人が祝福したばかりか、4位の羽生結弦もリンクサイドで表彰式を見守り、心からの拍手を贈ったのだ。

【次ページ】 「スケートコミュニティに恩返しを」

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