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なぜ松坂大輔はPLに打たれたのか。
松坂、平石が語る20年目の真実。
posted2018/06/21 11:30
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
「同じ日」だったのは単なる偶然なのか、それとも運命なのか……。6月17日は中日の松坂大輔と楽天の平石洋介にとって、節目となる1日だった。
松坂は当日の西武戦に先発予定だった。球場名が変わっても、メットライフドームはかつてのホームグラウンド。12年ぶりとなる登板に、3万1382人もの観衆が詰めかけた。
西武ファンにとって、今でも「オレたちの大輔」。大リーグに行くときは笑顔と涙で見送り、国内復帰先がホークスと知ったときにはライオンズをちょっぴり恨み、ドラゴンズで再起を期すとわかったときには「がんばれよ」と素直に願った。
その「大輔」が帰ってくる。「今日だけは負けてもいいか」なんて思いながらプレーボールを待ちわびていたら、なんと7分前に先発変更って……。あのどよめきは、まさしく「金返せ」だった。
「ブルペンに入って投げ始めたところで背中がつってしまい、何とか投げようと思ったのですが、けいれんが治まらなかったので登板を回避させていただきました。たくさんの方が投げるのを楽しみに来てくれた中で、このような形になり申し訳ありませんでした」
治療を終えた松坂は、メットライフドームの長い階段を5分ほどかけねば上がれなかった。本来のチームスケジュールは試合後に名古屋へ移動だったのだが、バスや新幹線での長時間の移動は負担になるため、松坂だけ東京都内にもう1泊したほどだった。
それでも謝罪のコメントを球団広報に託すことを忘れなかったのは、松坂が予告先発の義務とこういう事態に陥ったときの説明責任を自覚しているからだ。事情を飲み込めたこと、そして翌日の精密検査の結果が比較的軽度の「背部捻挫」だったことで、古巣のファンも納得し、胸をなで下ろしたことだろう。
楽天の監督代行に就いたのは「あの平石」。
同じ日に再スタートを切ったのが平石だ。前日の梨田昌孝監督の辞任を受け、ヘッド兼打撃コーチから監督代行へと肩書きが大きく変わった。
初陣はホームでの阪神戦。3本塁打が飛び出し、8-0の快勝で飾った。代行とはいえ、松坂世代では初の監督。選手としては通算37安打、1本塁打という成績で終え、なおかつ38歳での抜擢はもちろん本人の指導者としての資質を球団が高く評価しているからだ。
一方でこの人事に楽天以外のファンも「あの平石か」と記憶しているのは、やはり20年前のあの名勝負があるからだ。