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「東北にJリーグを」から20余年……。
仙台で考えるプロ球団とホームタウン。
posted2018/04/14 11:00
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph by
Yasuo Kawabata
仙台スタジアムで聞く『カントリーロード』が好きだ。東北を旅する道中で、一体感と懐かしさを感じさせるあの歌声に包まれるたび、土色の景色や行き交うトラックの多さに沈みがちな気分が慰められるような感じがする。
『カントリーロード』で癒された後に、ブルーハーツの攻撃的だが、やはりどこかやさしいメロディが響き始めると、取材者の僕まで高揚してくるから大したものだと思う。まさしく電光石火でベガルタのカウンターが決まりそうな、そんな期待が膨らむのだ。
仙台のサポーターは歌がうまいのだろうか。もちろん屋根付きスタジアムならではの反響効果もあるのだろうが。
仙台スタジアムが開場したのは1997年である。当時、チームはJFL。Jリーグ(J2)入りは1999年だから、それに先立ってスタジアムがあったことになる。
仙台では、1993年のJリーグ創設前からプロサッカーチーム設立の動きがあった。スタジアムの方はそれよりさらに前から建設計画があって、そこにJリーグブームの後押しが加わり、規模が少しずつ大きくなって現在の2万人収容の屋根付きスタジアムとして完成した。
ホームタウンを探して駆け引きが。
「東北にJリーグを」の掛け声で進められたチーム設立は、当初別の企業に声をかけていたと思う。調整がうまくいかず、東北電力サッカー部を前身としてベガルタ仙台(当時はブランメル仙台)ができた。「別の企業」のチームは、その後札幌からの誘致でコンサドーレになった。
もう少し時計の針を戻せば、Jリーグの準備段階の頃には日本リーグの名門が仙台をホームにする案もあった。プロチームを共同運営することになった鉄道会社の営業エリアだったからだ。
こうした話は仙台に限らず、あちこちに残っている。いわば“ホームタウン前史”。Jリーグの立ち上げ期はそれほど慌ただしい時代だったということだ。
ちなみに仙台と話がまとまらなかった名門+鉄道会社のチームは首都圏で旗揚げしたが、Jリーグ開幕を迎えた時のホームタウンは県内の別の町になっていった。