プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
ザ・グレート・ムタと武藤敬司が休業!
人生最後のムーンサルト・プレスを。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2018/03/29 10:45
グレート・カブキは完全に引退し、ムタの姿まで見られなくなってしまって……毒霧の技の系譜はどうなる?
武藤とムタ、ついにリングを去る!?
武藤は、両ヒザに金属の人工関節を埋め込む手術と、それに伴う運動能力回復のリハビリのために、1年間近くリングを離れる決断を強いられることとなった。
そうして“ムタ”もまた、3月25日に行われたDDT両国国技館大会を最後にリングから遠ざかることになったのだ。
“ムタ”は猪木相手でも色褪せなかった。
アメリカ生まれの“ムタ”という名のペイント・レスラーが新日本プロレスのリングに登場したのは1990年だった。
日本での2戦目となった1990年9月、広島での馳浩戦は残虐性の強い大流血戦だったが、日本のファンに「またムタが見たい」と感じさせるに十分なインパクトを残した。
1994年5月、福岡ドームで行われたアントニオ猪木との戦いも忘れられない。それは猪木ワールドであって、同時にムタ・ワールドでもあったからだ。
ムタは照明用のハシゴにまでよじ登って猪木と戦っていた。最終的には、緑の毒霧に染まった猪木のチョークスリーパーに敗れはしたが、ムタの存在感を思う存分示した大一番となった。
その後、新日本を去ったムタはアメリカのWCWに戻ったが、そこは以前のWCWとは変わってしまっていたようだ。
結局、ムタは全日本プロレスのリングにおどろおどろしいフェイスマスク姿の別の魔物となって戻ってくる。そこで、今度は天龍源一郎にまで毒霧を吹き付けていた。
今から考えると……IWGPも三冠王座もムタにとっては容易に取ることができたタイトルだったようにさえ思う。