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Bリーグ琉球・佐々宜央HCの流儀。
33歳で指導者歴15年、異色の経歴。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byB.LEAGUE
posted2018/03/12 17:00
陸川章、小野秀二、アンタナス・シレイカ、トーマス・ウィスマン、長谷川健志、ルカ・パヴィチェヴィッチら錚々たるHCのもとで経験を積んだ。
前代未聞の1年生ヘッドコーチに。
佐々は'03年の入学時、漠然と“教員免許をとって、どこかでバスケットボール部の先生にでもなろうかな”と考えていた。入学後はBチームに割り振られたのだが、佐々が教員志望であることを知った名将からは、1年生ながらも「学生コーチ」、つまりアシスタントコーチになるように持ちかけられた。
これを受諾するやいなや、想定外の出来事が起きる。BチームでHCを務めていた人物が大学院での論文執筆によって、チームに関わる時間が限られることになった。そこで佐々が前代未聞の1年生HCになった。つまり同学年だけでなく、2年生から4年生の上級生にも指導する立場となったのだ。
そんな経験を経て、佐々は3年生からAチームで陸川を支えるACとなる。翌年には同学年の竹内譲次や石崎巧ら選手たちとともに、関東大学バスケットボールリーグとインカレの2冠に貢献した。佐々と同学年はゴールデンエイジと呼ばれ、前述した岡田ら今もBリーグで活躍する選手が多い。
「この前、アルバルク東京と京都ハンナリーズの試合を見ていたら、コートにいる10人中5人が同学年の選手でした(笑)。ただ、大学の時には彼らが(ユニバーシアードの)代表に行っている時、僕は東海大学に残っていた。だから、彼らがうらやましくて。ミーハーな憧れではなくて、高いレベルを味わいたい、彼らを追いかけなきゃという気持ちでした。その気持ちは今でもそうですね」
日本代表で通訳兼ACを兼務したことも。
トップレベルの選手として活躍した経験のない佐々だが、指導者としてのキャリアはまもなく16年目を迎えようとしている。これは異例のことだ。
例えば名門・川崎ブレイブサンダースの北卓也HCと比較してみよう。彼は現在のBリーグ指揮官のなかでもキャリアが長い指導者だが、今季10年目のシーズンである。佐々がいかに指導者畑を歩み続けているかが分かるだろう。
佐々は東海大卒業後に大学院へ進み、さらに2年間、母校のACとして指導を続けた。そして'09年には日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)のACとなった。
そこでサンロッカーズのHCを8シーズン務めた小野秀二に師事。'13年からは栃木ブレックスでAC兼通訳として3シーズンを過ごした。なお'14年からは日本代表の通訳兼ACも兼務していたのだ。
栃木ではリトアニア人の名将アンタナス・シレイカ氏や、後にBリーグ初代王者に導くトーマス・ウィスマンのもとで働く。代表では長谷川健志(栃木の前HC)とルカ・パヴィチェヴィッチ(現アルバルク東京HC)をACとして支えた。