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SB千賀が「これはヤバい」と絶賛。
158km左腕・川原弘之がオフに変貌。
posted2018/02/05 11:30
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Kotaro Tajiri
1年前の今ごろ、ホークスの石川柊太を取り上げたコラムを当連載に寄せた(http://number.bunshun.jp/articles/-/827340)。
要約すると、それまでプロ入団から一度も一軍登板のなかった石川が、わずか6日間の自主トレ合宿でピッチングが激変。「秘密兵器」として大いに期待できるという内容で書いたのだった。
手前味噌だが、これが自分でも驚くほど的中した。開幕一軍入りを果たしてまずは中継ぎでデビューすると、好結果を積み重ね、ついに先発ローテの座を掴んだ。レギュラーシーズンで8勝。特にチームが苦しい時期の活躍が目立った。さらにCSファイナルで1勝、日本シリーズでも2勝を挙げて、日本一奪回に大きく貢献した。
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その合宿というのが、「鴻江スポーツアカデミー」代表の鴻江寿治氏が主宰をするトレーニングキャンプだ。
そして、今年もまたこのキャンプからとんでもない“掘り出し物”が誕生しそうなのだ。
ホークスの左腕、川原弘之である。
参考記録だが、日本の左腕最速球速。
もう今季でプロ9年目になる。福岡大大濠高校からドラフト2位で入団。地元出身選手ということもあり、注目度も期待度も高い左腕だった。
とにかく球が滅法速い。入団3年目の'12年には最速158kmをマークした。二軍戦だったために参考記録扱いだが、日本球界における左腕最速記録(タイは昨年8月に菊池雄星が記録)の保持者である。
しかし、一軍では通算3試合しか投げていない。
プロ人生の大半を怪我と戦って過ごしてきた。若い頃から肩肘の不調を訴えることが多く、ついに'15年の春に左肩にメスを入れる。さらに同年11月には左肘の「トミー・ジョン手術」も受けた。そのオフに球団から契約解除を通告されて、育成選手として再契約。現在も「122」の背番号でプレーをしている。
長いリハビリを経て、昨年はマウンド復帰を果たした。シーズン終盤は「戦力外」の3文字に怯えたが、台湾で行われるウインターリーグの参加者に名前があった。これは球団から期待されている証でもある。選手生命がつながったことに安堵した。