ミックスゾーンの行間BACK NUMBER
昔話に花を咲かせ、冗談で笑わせ。
ハリルinフランス、自然体の記者会見。
posted2017/11/09 08:00
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph by
Takuya Sugiyama
語気を強め、刺激的な言葉を頻繁に発していく。きっと、日本国内でヴァイッド・ハリルホジッチ監督の印象といえば、こんなところではないだろうか。特にメンバー発表の会見で見せる“大演説”は、今やメディアやサッカーファンにはお馴染みの光景。選手の顔ぶれとともに、今度は指揮官が何を発言するかにもその都度耳目が集まる。
11月10日にブラジル戦、そして14日(日本時間15日未明)にベルギー戦を戦うハリルジャパン。5日から始まったフランス・リールでの練習に先立ち、ハリルホジッチ監督はひと足早く渡仏し、試合に向けたPR活動を行った。
今回の欧州遠征、その最初の土地・リールは1998年から2002年までの4年間、ハリルホジッチ監督が指揮を取った縁の場所。今でも自宅も構えているほど、愛着ある街だ。日本がブラジルと戦うために、監督として10数年ぶりに当地で指揮を執ることになった。
地元の方々に向けて行われた会見。そこで目にしたのは、常に柔和な表情を浮かべ、落ち着いて会話をするハリルホジッチ監督の姿だった。馴染みの記者や関係者と談笑し、会見では時折ジョークを交えて笑いを取っていた。
何より、話すスピードがいつもよりゆったりとしていた。日本ではどうしても通訳を入れるため、短いセンテンスで畳み掛けるような話し方になってしまう。そんな事情も関係していただろうが、とにかくハリルホジッチ監督の佇まいが、柔らかかったのである。
「私が来た当時のリールは2部の最下位だった」
会見では、昔話に花を咲かせた。
「リールは私が監督として来た当時は2部リーグの最下位だった。スタジアムにも2000人ほどしか観客が入っていなかった。ただ最後は平均18000人も入るチームにすることができた。私にとっての誇りである。
監督初年度は得失点差で1部には上がれなかったが、そこから1年半後にはチャンピオンズリーグの予選にまで進むチームになった。これは考えられないことだった。当時、短期間で最も成長したチームとも言われた。そのチャンピオンズリーグでは、オールド・トラッフォードでマンチェスター・ユナイテッドとも対戦した。リールの全選手の年俸より、ベッカム1人の年俸の方が高かった。
試合前日、散歩に出た時に『明日は10失点してしまうのか……いや、そんなことはない』と考えていたことを覚えている。試合前のアップ時には、リールの選手たちは全員相手の選手ばかりを見ていた。相手は雲の上の存在のようだった。試合は残り数分でベッカムにゴールを許して負けてしまった。試合後、みんな我々に『ブラボー』と言ってきたが、私は相手が誰であろうと負けることはうれしくない。これもリールでの思い出です」