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26歳の石川遼、まだレースは続く。
PGAシード喪失は「終わり」ではない。

posted2017/10/12 08:00

 
26歳の石川遼、まだレースは続く。PGAシード喪失は「終わり」ではない。<Number Web> photograph by AFLO

石川遼の5シーズンに及ぶPGA挑戦はひとまず終わりを迎えた。しかし彼はまだ26歳になったばかり。キャリアはまだ序盤戦だ。

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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 15歳で初めて出場したプロのトーナメントを制した石川遼は、16歳でアマチュアの身分から卒業し、18歳で日本ツアーの賞金王になった。すべての試合の最終日で、トップスに必ず赤いパンツを合わせ、あらゆるシーンで彼は主役であり続けた。

 2013年1月。前年の活躍でPGAツアーの正式メンバーになると、主戦場をアメリカに移して次なるステージに立った。

 日曜日に、赤いパンツを穿くのを“恒例にすること”はやめた。

 それを尋ねたとき、「まあ、もうね……」と苦笑して言葉を濁されたのを思い出す。当時21歳。母国で背負わされたスター像から脱却し、新たな道を歩もうとしているように見えた。

 あれからおよそ5年。石川がPGAツアーの出場資格を失った。

 レギュラーシーズンで来季のフルシード獲得を逃し、限定的な出場権を争う全4戦の入れ替え戦も勝ち抜けなかった。来シーズンは下部ツアーか、日本ツアーが戦いの場となる。

PGAツアー101試合に出場し、予選落ちは46回。

 石川は本格参戦する以前に、PGAツアーで優勝争いを演じた経験がある。2011年8月のWGCブリヂストンインビテーショナルで最終日最終組をプレーして4位。翌12年プエルトリコオープンで2位に入った。20歳を迎える直前と、その数カ月後のことだった。

 そのスポット参戦時の輝きは、正式メンバーになってから失われた。5年の間、フルシードを獲得したのは2回。そのうちの1度は'15年のレギュラーシーズン最終戦で見せた奇跡的な滑り込みによるもの。今季は腰の故障による公傷制度で出場権をつないだ1年だった。

 この間、PGAツアーに101試合に出場。予選落ちは46回に上った。

 ドライバーを振り切ってアドバンテージを取るという、10代の頃に日本で軸にしていたスタイルの変革の必要性を、石川はPGAツアー参戦以前から感じていた。アメリカでも決して飛ばない選手ではないが、飛距離で優位性を保てるプレーヤーでもない。

 そのため、ボールを左右に自在に曲げて、コースに柔軟に寄り添って攻めるゴルフを早くから模索した。まだ日本が主戦場だった2011年、石川が1勝もできなかったシーズンは、ちょうどその時期と重なる。アメリカで勝つための準備を整えていたつもりだったが、試行錯誤の連続だった。

【次ページ】 「攻めるか、守るか」と迷いスタイルを失った。

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