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26歳の石川遼、まだレースは続く。
PGAシード喪失は「終わり」ではない。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byAFLO

posted2017/10/12 08:00

26歳の石川遼、まだレースは続く。PGAシード喪失は「終わり」ではない。<Number Web> photograph by AFLO

石川遼の5シーズンに及ぶPGA挑戦はひとまず終わりを迎えた。しかし彼はまだ26歳になったばかり。キャリアはまだ序盤戦だ。

「攻めるか、守るか」と迷いスタイルを失った。

 石川には類い稀なショットの器用さと引き出しがある。トラブルを鮮やかに回避するシーンは、“持ってる”とか、“神ってる”といった非科学的な資質によって演じられてきたものではない。しかしその器用さゆえか、ひとつのショットや技を突き詰めて精度を上げる作業が、時期によって散漫になることもあった。近年は長所であるショートゲームに割く練習時間が以前よりも相対的に減ったようにも感じられた。

 10代の頃には知りえなかった失敗体験が、全身から自信を一枚ずつ剥がしていく。「攻めるか、守るか」と日々、1ショットごとに自問自答し、ついには自分のスタイルというべきものを失った。

 一方で、この5年間は最後まで腰痛への不安がぬぐい去れなかったように思う。本格参戦開始当時は、腰を屈めることができずパットの練習すらままならなかった。

日本での立て直しという選択肢は常にあった。

 今年1月、石川はオフの期間中にスイングを解析した結果として、ドライバーショットがフェードボール主体になった。それが「ここまで体をひねっても痛くない。大丈夫だ」と、バックスイングのポジションが深く取れることに気づき、本来のドローボールに自信を持てたのが、この夏に日本に一時帰国した時のこと。長期離脱期間を経ても、恐怖心を払しょくするまでに、復帰してから約1年かかった。

 だから仕方ない、と言いたいのではない。肉体的な問題を解消できずに敗れていく選手は星の数ほどいる。特に石川にとっての腰痛は、何も海を渡ってから、プロになってから生じた問題ではない。中学生の時に腰の痛みを緩和するため、中尺パターを使っていた時期もある。タフな身体づくりは早くから求められていたものだった。

 プロ10年目のタイミングで一時撤退という現実を突きつけられたが、実は石川の内面ではここ数年、日本での立て直しが必要なのではないか、という葛藤がいつもあった。

 アメリカでの不振は世界ランキングの後退に直結し、最大の目標であるメジャー制覇どころか、そこに出場することすら難しくなった。一時帰国して出場した日本ツアーでは、すぐに勝つ。日本を主戦場にすれば結果的にはメジャー出場の機会が増えるであろうことは、誰もが感じていた。

【次ページ】 優勝争いから離れると、感覚が鈍っていくという恐怖。

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